『大日本史料』 6編 35 応安4年是歳~応安5年6月 p.232

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中也、早々馳參、被致忠節候者、殊喜入候、恐々謹言、, 引入たる故、國中に打出んとは擬したると見へたり、, きに武政か豐後に發向したる後、了俊も豐後に著たることを聞て、武光も豐後に馳向ひ, 〔參考〕, しなるへし、しかるに了俊は無程豐前に發向せしよし聞へし程に、武光父子、了俊か豐, 前より筑前へまわりて留守を襲はんかの心遣ありて、肥後國へ引返せしを、没落せしと, ○武光、高崎城ヲ攻メ、大宰府ニ退クコト、本月三日ノ條ニ見ユ、, はいひたるなるへし、義範は武光に寄られて高崎城に引籠りてありしか、武光か肥後へ, 武光以下凶徒没落之間とは、さ, 正月十一日状、同廿三日到來、委細承候了、抑武光以下凶徒没落候間、近日に所打出國, 〔征西將軍宮譜〕, 阿曾大宮司殿, 二十五日、n、今川貞世、書ヲ島津親忠・禰寢久清ニ遣リ、島津氏久・, 正月廿三日, 正月廿三日義範花押, 義範花押, 應安五年ニ掲グルモノニ同ジ、, ○下, 文中元年壬子○義範書状略ス、前, 略, 南朝文中元年北朝應安五年正月二十五日, 二三二

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  • 應安五年ニ掲グルモノニ同ジ、
  • ○下
  • 文中元年壬子○義範書状略ス、前

  • 南朝文中元年北朝應安五年正月二十五日

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  • 二三二

注記 (22)

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