『大日本史料』 6編 40 応安7年正月~応安7年5月 p.154

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あり、已先賢所存かくのことし、誰人か是非におよふへきやにて、なを數度女院に申, ます事奇特にそ侍る、さても文和二年に、南方軍勢猛將如雲謀臣如雨とやいふへき、, 入られたるにそ、御領納の儀まし〳〵て御位にはつかせ給ふ、日ころは妙法院門跡に, となく又敵軍沒落す、大樹同相公羽林還幸の事申沙汰ありて、九月廿一日には御京著、, によりて、江州行幸度々に及といへとも、つゐに此御宇よりそ、天下もおさまり、萬, 御入室あるへきにて、日次なともさたまりしか、自然に延引して、いま天位に備まし, 民の心もしつまり侍る、爰貞治六年最勝講第二日、南都北嶺衆從喧嘩事出來て、堂上, いまいつれの宮をもて御位に備奉へき哉之よし、攝家をはしめて尋申へき旨武家評儀, 前陣に武家相公羽林、後陣に大樹供奉し給て、嚴重の御儀式にてそわたらせ給ひける、, 八幡山よりみたれ入間、六月二日延暦寺に臨幸、これより濃州に御下向あり、雖然ほ, 幸例、量實勘進せしむ、叡感抽賞の儀ありとそ、道の規模にや侍らん、此後も又騒亂, きによりて所存を申さる、それなを數度固辭あり、今度更以計申かたき旨申切られ畢、, 九月還幸事いかゝと御猶豫ありてたつね仰られしに、元正天皇濃州より九月帝都に還, 血をなかし、被疵者五十餘人、損命の者も數輩にをよふ、著座公卿以下諸司公人にい, 義教〔詮〕, 南朝文中三年北朝應安七年正月二十九日, 一五四

  • 南朝文中三年北朝應安七年正月二十九日

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  • 一五四

注記 (17)

  • 1506,707,59,2187あり、已先賢所存かくのことし、誰人か是非におよふへきやにて、なを數度女院に申
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