『大日本史料』 7編 7 応永12年正月~同13年5月 p.409

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中主尊と同體異名也、左の脇は天照太神の御孫瓊々杵尊也、天照太神も御, の皇女豐鋤入姫命に、三種神器を附て、大和國笠縫邑に神籬を立て祭給ふ、, て、豐受太神を與佐郡眞井原より、伊勢國度會郡山田原に初て鎭座し給ふ, れは、我等か所願をとけさせたまへ、萬徳所歸の名號をあまねく衆生にほ, へまふてゝ、歸命頂禮して申さく、本地和光同塵して、衆生をまもり給ふな, 子の忍穗耳尊も、いまた下界へ降給はすして、瓊々杵尊を初て下界の三代, 神あまくたり給ひしとなり、抑此内外宮のはしまりは、人皇十代崇神天皇, 目のあるしと定て、天降給し所は、日向國也、右の脇は天兒屋根命也、春日大, 明神これなり、瓊々杵尊の御伴して天降し給し神たちの大將也、聖此兩宮, 豐鋤入姫命、天照太神を戴て、丹後國與佐宮にいたれる時に、豐受太神天よ, は、二十二代雄略天皇十一年の事なり、さて豐受太神宮は國常立尊也、天御, は與佐郡に留給ふ、扨十一代垂仁天皇の皇女倭姫命、天照太神を伊勢國五, 十鈴河の宮にうつし奉れり、是より四百八十二年に、天照太神、倭姫に勅し, り降て一所にまします、四とせを經て、天照太神大和に還幸し給ひ、豐受神, の右に内宮あり、此所にまた飛宇羅といふ尖なる山あり、この嵩へ豐受太, 丹後河守, ノ大神宮, ニ參詣ス, 應永十二年九月十一日, 四〇九

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  • 丹後河守
  • ノ大神宮
  • ニ參詣ス

  • 應永十二年九月十一日

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  • 四〇九

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