『大日本史料』 7編 7 応永12年正月~同13年5月 p.415

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し置て、叉修行にそ出られける、, 淺瀬となりゆくより、此浦を海中へつき出し給へは、四國九國の萬船此嶋, ける、然るに守護地頭尊敬の餘り、當所輸田の御崎の醫王山藥仙寺を聖に, られけれは、山路の村里群集しておかみ奉りける、誠に賤き樵夫も供養を, 至り、墳墓の御前にて、知恩報謝の爲に、二夜三日六時の行法をそ修せられ, 八丙戌年に御建立の靈地也、此輪田御崎は、遮迦羅龍王の住所にて、上下の, 奉りける、抑此醫王山藥仙寺と申は、人皇四十五代聖武天皇の御宇、天平十, 寫せしめ、海底にしつめ御祈誓有しかは、此功徳に依て、龍王所をかへ、深淵, 貞治四年春、一遍上人の御墓所をおかみ奉らんの願ありて、幾山々を越て、, し給ふ比、平大相國清盛公、御門へ奏して、此地におゐて、大乘經六萬部を書, 事を行し給ふ、又人皇八十代高倉院の御時、此地へ福原の新京とて、都を移, 山陽道へそ出給ひける、同行の僧尼を具して、六時の行事おこたらすとを, 奉り、幼き牧童も敬禮し奉る、日をへて、攝州矢田部郡兵庫の道場眞光寺へ, 萬船破却する事其數をしらす、御門行基法師に勅して、此寺において、大法, 〔國阿上人繪傳}二十, 攝津眞光, 寺智眞ノ, 墓ニ詣ヅ, 應永十二年九月十一日, 四一五

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  • 攝津眞光
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  • 應永十二年九月十一日

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  • 四一五

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