『大日本史料』 7編 7 応永12年正月~同13年5月 p.430

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あいた修儀の法を行給ふ靈神とそ傳きゝ、有かたく拜し給へり、右の方に, へ、清水寺の鐘の聲は、提河の浪にひゝき、淨土寶樹の花に心を染、彌陀滿月, 一入に滿足し侍り、國阿の行年も積る間、王城の地に住居し給へと、さま〻, の光におもひをかけて、一心不亂に念佛し給ふ、然るに參宮の輩汚穢をゆ, 住し、六時の行法をそ修せられける、誠に此山の嵐は、常在靈山の聲をつた, 參り、住持光英僧都に面〓し給ふに、聖書寫山にての知己なりけれは、互に, 木の根を埋む、參詣の緇素暮るを恨み、貴賤明日に期す、それより常樂院へ, 悦喜不殘、僧都、國阿にの給ふは、年久不遂看顏、懷床の折節、當地への參詣、今, 多門天也、比は彌生の半なれは、谷々峯々の山櫻、嵐のさそふ花の雪、誠に諸, 生の尊貌を拜み奉り、攝取不捨の光明は、我等か妄雲をはらし、名におふ極, 〻強請して、靈山寺を國阿に渡し置給へは、國阿辭するに詞なくて、此山に, 平法皇華嚴院御建立の時、菅相丞一刀三禮にして造立し給ふ、欲界守護の, 平松山往生院見ゆ、夫よりいさ〻の橋を渡り、極樂院へ參り給ふに、上品上, るし給ふ神勅を蒙し聖こそ、上洛せられしかとて、萬人群集するゆへ、衆徒, 樂往生は、去此不遠と、難有思ひ、それより毘沙門堂へ參り給ふ、此本尊は寛, 常樂院, 住持光英, 寺ヲ附與, ヨリ靈山, 毘沙門堂, セラル, 極樂院, 往生院, 應永十二年九月十一日, 四三〇

頭注

  • 常樂院
  • 住持光英
  • 寺ヲ附與
  • ヨリ靈山
  • 毘沙門堂
  • セラル
  • 極樂院
  • 往生院

  • 應永十二年九月十一日

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  • 四三〇

注記 (25)

  • 1882,755,61,2173あいた修儀の法を行給ふ靈神とそ傳きゝ、有かたく拜し給へり、右の方に
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