『大日本史料』 7編 7 応永12年正月~同13年5月 p.444

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暮群集をなしけり、その比義滿將軍の仰なりとて、三官領より御教書を下, とて、招請しけれは、靈迎山稱念寺と號して、梵阿彌陀佛をそ殘し置給へり, に青葉山と云名山、庭中のことくに見ゆる、寺の下より、左の方へ山道あり、, にて、其くれの別時をそ勤給ふ、同此濱に富さかへ、子孫おほく、年老たる人, り、參宮の人々、大神宮神勅の御札をいたバき奉らむとて、日々に國中の萬, 人に奉るまゝ、御嗣法の弟子をすへられ、わか後世菩提をとふらはせ給へ, 民まいりつとふ事、稻麻竹葦のことし、此所に高野堂西林寺と云眞言宗の, 清淨の地をかまへ、内道場をつくり、看經所としたる人あり、此所を國阿上, 是は但馬へゆく道なり、皆山路にてそひへたる道なり、右の方に入海まん, 時衆となり、名を改て、遊阿彌陀佛と號し、念佛一行の身と成侍る、此西林寺, 明徳元年の春、例の參宮の人々、汚穢をゆるし給ふ御札をうけ奉らんと、朝, 寺あり、本尊は三尊の阿彌陀如來、惠心僧都の作、御長三尺餘の本尊なり、向, 〳〵と見えて、風景たくひなき靈地なり、此寺乃住持、國阿上人に歸依して、, され、國阿上人上洛あるへきよし、嚴重の上使ありしかは、上洛仕へきの御, 卅七, 高野堂西, 稱念寺ヲ, 林寺ノ住, 僧ヲ化ス, 創ム, 義滿ニ招, 請セラル, 應永十二年九月十一日, 四四四

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  • 高野堂西
  • 稱念寺ヲ
  • 林寺ノ住
  • 僧ヲ化ス
  • 創ム
  • 義滿ニ招
  • 請セラル

  • 應永十二年九月十一日

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  • 四四四

注記 (24)

  • 406,742,62,2176暮群集をなしけり、その比義滿將軍の仰なりとて、三官領より御教書を下
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