『大日本史料』 7編 8 応永13年6月~同14年7月 p.850

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車にめさる、御しりのりは徳大寺の右のおほきおとゝの御女なり、これも, 々せん例もみなかやうに侍るとかや、さても御さしきはたかはしの東の, たまふ、これはこと道より内裏へまいりあはせ給はんと也、御車よせの人, 入内にも、攝政、關白まいり給し、かやうの御かれいともにこそ、一はうは大, は日野の大納言殿、おなしくひやうふ、木丁を立てしそき給へは、やかて御, て、みすのうちにてへんはいあるほとは、もやに五尺の御屏風をたてゝ、そ, かたに五間にたてられたり、くわんれい兵衞のかみ入道うけ給はりて、い, せの事もかねてよりさたありて、おなし御入内、又それよりさき大宮院御, 關白殿、日野の大納言殿二人御車よせに參り給ふ、東の方は關白殿、西の方, くわうき門院の御入内に、かの御家よりまいらせ給ひしれいにや、御車よ, たひもそのふんとそ聞えし、御車よせのやくはてゝ、關白殿は先さきに出, 臣もしは大納言なとよせありて、しかるへき人のつとめ給ふ事なれは、此, よりなれは、そとみわたし侍るに、かうけつのまんひかれたるさまなとこ, かめしくけいめいしてしつらはれたるとそ、この御所へまいるみちのた, のうちにたゝせおはしますとかや、へんはいはてゝ、おんみやうし出て後、, 大寺公俊, 後乘ハ徳, ノ女, 應永十四年三月二十三日, 八五〇

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  • 大寺公俊
  • 後乘ハ徳
  • ノ女

  • 應永十四年三月二十三日

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  • 八五〇

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