『大日本史料』 7編 28 応永24年9月~同年雑載 p.47

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するものか、紫原は其地に續き徑路あり、速に紫原に往て、所を見て一陣を築き、往還, て、若武者等は芭蕉矢幡を負ひ、老武者は小幡を腰に挾、既に鹿兒嶋を發し、青屋・郡, 葉を放つて云ひけるは、河邊松尾籠城の輩只今參向す、彼地にあるの間、城外の通用絶, へとも、敵兵壹人も見得す、疑くは是五ケ別府川口の壘に屯して、鹿兒嶋の通路絶んと, ては久豐公自將として御出馬有へしとて、既に旌旗を揚、佳例に任せ、小幡一揆と號し, 元・牛かけの濱を過き、先陣の兵既に谷山の笹貫・波平に進む、後陣の兵は鹿兒嶋の内, 梁也、故に伊地知對馬・酒匂某・北原某等一族を卒して先陣に進み、城邊に責寄り、言, て參會する事を得す、今や城門を開き發出することあらは、一面の佳會を遂け一太刀の, 非軍返答をもせす、宛無人者に似たり、陣營を波平に構へ、中村・山田上下の田の間を伺, を去らす、疾く至らんことを欲すれとも、前路充滿して軍衆通る事を得す、其上濱邊の, 會釋をなさん、敢て遲引する事なかれといつて、若武者等高聲に〓るもの多し、城中の, 漁人等船に棹し、先を爭そふて佐屋の脇に向ひ至る、頼久は谷山本城にあつて當敵の棟, にあらすや、速に谷山に向かひ、頼久か軍に對し鬱憤を散せんと申上けれは、今度にお, 味方の軍利あらす、和泉殿兄弟・蒲生・禰寢以下の勇士數輩戰死を遂し事、當家の瑕瑾, 應永二十四年九月十一日, 四七

  • 應永二十四年九月十一日

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  • 四七

注記 (16)

  • 252,632,62,2250するものか、紫原は其地に續き徑路あり、速に紫原に往て、所を見て一陣を築き、往還
  • 1509,644,63,2254て、若武者等は芭蕉矢幡を負ひ、老武者は小幡を腰に挾、既に鹿兒嶋を發し、青屋・郡
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  • 1637,647,63,2246ては久豐公自將として御出馬有へしとて、既に旌旗を揚、佳例に任せ、小幡一揆と號し
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  • 1009,636,61,2256梁也、故に伊地知對馬・酒匂某・北原某等一族を卒して先陣に進み、城邊に責寄り、言
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