『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.329

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

慶長十九年、大坂陣のとき、忠朝, 造口ニ向としるせしは、大なるあやまり也, 大和川の邊にうつらせ玉, により、鴫野にをもむき、仕寄以下の事を下知す、これきのふおもはさるに、, 一説に、今福に陣し、後に, 敵いつるゆへなり、忠朝また別に攻口をう第たまわりて備をまうく、, むしとなして、もとより一時の事にあらさるを、寛政呈譜に、今福ニ陣取、玉, 大權現、台徳院殿これをきこしめし、翌日三宅半七郎を上使として、仰ある, ○以下本多忠朝ノコトニ係ル、, 玉造口に陣をとよ、十一月上旬、城の兵鴨野をいて、佐竹右京大夫と合戰す、, 本多忠朝, 〔寛永諸家系圖傳〕, 慶長十九年十一月二十六日, あ事視えす、高幡休得か撰にし御譜をはじめ皆同し、多明安つ修めし御, 玉造口は城の南門にて、今福は, 月廿五日の事となす、, 榊原侯の御書出に、十, 城の東北にあり、いかて城の東, ニ城東ノ方面ヲ指セルモノヽ如シ、本書ノ按ハ誤ナラン, 滿ニ陣スルコト、十二月六, せ玉しし後なるべし、○下略、玉造口トハ、諸書記ス所、皆一般, といふも、當時の實記の説にして、また改〓〓からさるにや, もとよりかふべからに、今福及む大和川の上に陣し玉むし, 日ノ條ニ見ユ、參看スベシ, 八十, 北の地に陣して、城の南へせかふ事あらんや、地圖を〓しても、そのあやも, 朝天, ○忠, ゆ、されは玉造口にミかはせ玉むしといふは、我藩古來傳來の説にし, ソなるをしるへし、さ〓は玉造口に向はせ玉むしは、天王寺の邊へうつ, 出雲, 守, せ玉むを、一説に注す、おシふに、多明は武徳大成記等によりしと見, 譜に、初て今福ならもに大和川の上に陣し玉むしとな〕、玉造口に, 八, 〓事視えす、高幡休得の撰にし御譜をはじめ皆同し、多明安つ修めし御, 忠朝嶋野, 二十七日, ニ移リ陣, 本多忠朝, 慶長十九年十一月二十六日, 三二九

割注

  • 玉造口は城の南門にて、今福は
  • 月廿五日の事となす、
  • 榊原侯の御書出に、十
  • 城の東北にあり、いかて城の東
  • ニ城東ノ方面ヲ指セルモノヽ如シ、本書ノ按ハ誤ナラン
  • 滿ニ陣スルコト、十二月六
  • せ玉しし後なるべし、○下略、玉造口トハ、諸書記ス所、皆一般
  • といふも、當時の實記の説にして、また改〓〓からさるにや
  • もとよりかふべからに、今福及む大和川の上に陣し玉むし
  • 日ノ條ニ見ユ、參看スベシ
  • 八十
  • 北の地に陣して、城の南へせかふ事あらんや、地圖を〓しても、そのあやも
  • 朝天
  • ○忠
  • ゆ、されは玉造口にミかはせ玉むしといふは、我藩古來傳來の説にし
  • ソなるをしるへし、さ〓は玉造口に向はせ玉むしは、天王寺の邊へうつ
  • 出雲
  • せ玉むを、一説に注す、おシふに、多明は武徳大成記等によりしと見
  • 譜に、初て今福ならもに大和川の上に陣し玉むしとな〕、玉造口に
  • 〓事視えす、高幡休得の撰にし御譜をはじめ皆同し、多明安つ修めし御

頭注

  • 忠朝嶋野
  • 二十七日
  • ニ移リ陣
  • 本多忠朝

  • 慶長十九年十一月二十六日

ノンブル

  • 三二九

注記 (42)

  • 906,1939,61,924慶長十九年、大坂陣のとき、忠朝
  • 1386,635,58,1298造口ニ向としるせしは、大なるあやまり也
  • 1608,2084,60,779大和川の邊にうつらせ玉
  • 561,638,65,2233により、鴫野にをもむき、仕寄以下の事を下知す、これきのふおもはさるに、
  • 1624,661,56,680一説に、今福に陣し、後に
  • 444,631,68,2092敵いつるゆへなり、忠朝また別に攻口をう第たまわりて備をまうく、
  • 1491,642,69,2224むしとなして、もとより一時の事にあらさるを、寛政呈譜に、今福ニ陣取、玉
  • 677,634,67,2226大權現、台徳院殿これをきこしめし、翌日三宅半七郎を上使として、仰ある
  • 1036,781,57,929○以下本多忠朝ノコトニ係ル、
  • 791,636,69,2235玉造口に陣をとよ、十一月上旬、城の兵鴨野をいて、佐竹右京大夫と合戰す、
  • 916,1432,56,272本多忠朝
  • 895,588,108,592〔寛永諸家系圖傳〕
  • 233,701,43,514慶長十九年十一月二十六日
  • 1986,711,57,2157あ事視えす、高幡休得か撰にし御譜をはじめ皆同し、多明安つ修めし御
  • 1405,1943,48,907玉造口は城の南門にて、今福は
  • 1603,1366,42,635月廿五日の事となす、
  • 1647,1366,43,673榊原侯の御書出に、十
  • 1359,1948,50,912城の東北にあり、いかて城の東
  • 1134,651,49,1699ニ城東ノ方面ヲ指セルモノヽ如シ、本書ノ按ハ誤ナラン
  • 361,639,48,769滿ニ陣スルコト、十二月六
  • 1174,645,55,1775せ玉しし後なるべし、○下略、玉造口トハ、諸書記ス所、皆一般
  • 1716,712,49,1774といふも、當時の實記の説にして、また改〓〓からさるにや
  • 1758,711,50,1776もとよりかふべからに、今福及む大和川の上に陣し玉むし
  • 320,637,45,770日ノ條ニ見ユ、參看スベシ
  • 948,1230,40,106八十
  • 1290,645,53,2203北の地に陣して、城の南へせかふ事あらんや、地圖を〓しても、そのあやも
  • 424,2733,44,113朝天
  • 470,2734,40,116○忠
  • 1829,718,53,2140ゆ、されは玉造口にミかはせ玉むしといふは、我藩古來傳來の説にし
  • 1245,655,52,2180ソなるをしるへし、さ〓は玉造口に向はせ玉むしは、天王寺の邊へうつ
  • 947,1729,39,113出雲
  • 901,1729,43,49
  • 1872,720,55,2140せ玉むを、一説に注す、おシふに、多明は武徳大成記等によりしと見
  • 1944,710,55,2124譜に、初て今福ならもに大和川の上に陣し玉むしとな〕、玉造口に
  • 908,1229,36,33
  • 1984,701,60,2175〓事視えす、高幡休得の撰にし御譜をはじめ皆同し、多明安つ修めし御
  • 575,263,41,173忠朝嶋野
  • 621,270,41,161二十七日
  • 532,274,41,164ニ移リ陣
  • 1048,269,43,170本多忠朝
  • 233,701,43,515慶長十九年十一月二十六日
  • 223,2437,43,124三二九

類似アイテム