『大日本史料』 7編 32 応永25年雑載~同年雑載 p.222

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ハ釜か入と云, さん事深〳〵なりと思臼、本庄三河守寸時氏・奧野彌左衞門兩人を呼て宣ひける、國々亂, くして雲をうかつ、谷深くして務谷をうつむ、東の麓は中川と云大河なり、白波石臼上を, 兼而某等も左樣に存ル處に今此仰を承候、呂入存候とて、御前を罷能立て人夫を可て城を, 千不左京大夫滿胤二男、母和田氏、應永二十五年七月、下總國千葉の邨に誕生す, れて諸士あんとしかたし、此平城に居て用心悪敷思ふなり、烏山の高山を能見に、山高, 谷有り、尤深山幽谷なれノ常に人不通、北, 〔築せける、頃ハ永二十四年二月上旬より始りて同二十五年正月十七日に御わたまし, 流、縱梶原・佐々木か乘たるする墨十・いけ月といふ名馬なりとも、無左石ハ不可渡、南西, 〔那須記〓, 應永二十三年鎌倉持氏御居城を爲開給へハ、國々亂れて不靜、依之資重境の城にましま, は山續と雖、とても人馬不得〓事、乍去人夫を可て堀切よとそ宣ひける、兩人承りて, 廿資重ハ宗隆より十一代孫也、資重の子息越前守資持とて八州無雙の勇士なり、然るに, 資重帝釋山觀日立展事附烏山城築事, 昔ハ近江逆徒此二籠、依テ我殍入ト號、, 後に釜ノ神を安置しに其名を釜か入と號, ○史料首所本, 恒〓, 傳四, 十一右に、相州人和, 田氏といふは不可, 烙, ○中, 五, 下野那須資車, 烏山城ヲ築ク, 千葉氏, 滿胤二男生ル, 應永二十五年雜載諸家, 二二二

割注

  • 昔ハ近江逆徒此二籠、依テ我殍入ト號、
  • 後に釜ノ神を安置しに其名を釜か入と號
  • ○史料首所本
  • 恒〓
  • 傳四
  • 十一右に、相州人和
  • 田氏といふは不可
  • ○中

頭注

  • 下野那須資車
  • 烏山城ヲ築ク
  • 千葉氏
  • 滿胤二男生ル

  • 應永二十五年雜載諸家

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  • 二二二

注記 (30)

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