『大日本史料』 8編 4 文明2年雑載~同3年11月 p.454

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首へ内通有く、兩城の大將里見へ降參し〓りたぼ、, 先眞里谷黨の内に道觀入道と云者、峯上領に玉木の城と名すけ閉籠、己か, 領分の民を恣に惱す由、手初に彼を攻潰さんとて向はせ給ふ、刑部殿にき, 儀ならは二手に成て攻申さはやと宣ひける、左あらは討立とて、大將には, に忍のものを遣し、敵の案内を伺ひ玉ふに、のこきり山にふせき勢を置て、, 其外の所にき敵一人もなし、義成其夜中陣所にはかゝり火をたかせ、ひだ, を攻へきなり、急き勢を催して打立はやと仰たる、義成聞召左こそ候へ、其, 月十五日、玉木の城を攻給ふに、城中に人百計そ見えにたる、已に戰初りて、, 道觀か一子眞里谷丹波といふ者、珊海トいふ處に城郭構へ、海陸の關所と, 五歳、軍大將にも立へき頃なりし、我き未五十餘歳、少も年の若き内上總國, し閉籠たりと傳へ聞、彼城を攻落さんと、父子二手に成て出陣ある、頃は三, 成公明け根にて、敵の臣家佐久間藤内と合戰し玉ふ、其日は矢軍して、其間, 〓り、其早旦に〓くろうもの城へ寄玉ふに、昨日道環まけ軍して、夜中に百, のに船を金谷の浦へまはし、後より責玉へは、敵一戰にも及はすして落失, 〔里見代々記〕文明三年辛卯春、大將刑部殿へ被仰けるは、足下にもはや廿, (君津郡), 成義金谷, 浦ヨリ眞, 里谷氏ヲ, 襲フ, 文明三年三月十五日, 四五四

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  • 文明三年三月十五日

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注記 (22)

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