『大日本史料』 8編 18 文明18年正月~同年8月 p.756

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諮道給ふ、されは大名高家も重之、萬民傾首をけり、今の如ならは、末々扇谷, を靜勝軒と號す、康正二年丙子の年より始て、長祿元年丁丑四月八日に、工, 云とも非眞實山内殿雖大名、昌賢死去の後、彼一流も一人而善政を不爲、欲, 不知其數、武道未練の族は自身を退ける、依之人も禮を學、公方管領も聞義, 長思ひけるは、上杉關東を治る事三十餘年、果報の淺深により、聊國を治と, は、山内殿の御内の侍并越後の相模守房定も、偏執の思を成し玉ふ、其比資, 取名城、大勢を籠んと宣ひける、扨資長は、武州荏原郡品川の舘に居住した, りしか、有靈夢告とて、同國豐島郡江戸の舘に移り給ふ、勝れたる名地にて、, し、國家亂ん事近かるへし、然者當方に諸大名可隨付事無疑、如何にもして, 雖無山、見下四邊を、有入海、爲諸國往還の便、誠に目出度處なれはとて、此城, 殿上杉家を主とり、關東は一向に彼下風に隨ひなんと、人々さゝやきけれ, 心熾盛にして、君臣の禮をも不思、只空他の國を我者にせんと許の貪心多, も、萬歳をとなへる響かと疑はる、白峰の金屏に映するは、千秋の窓雪を含, 匠の功成就しけるとそ聞えし、峻宇高臺は雲を凌き、松風の黄簾を動す聲, るに似り、寶塔の林間より見たるは、遠寺を畫くに似たり、釣舟の蘆邊に浮, 杉房定等, 顯定ノ家, 定正ニ偏, 臣及ビ上, 執ノ思ヲ, ナス, 文明十八年七月二十六日, 七五六

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  • 杉房定等
  • 顯定ノ家
  • 定正ニ偏
  • 臣及ビ上
  • 執ノ思ヲ
  • ナス

  • 文明十八年七月二十六日

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  • 七五六

注記 (23)

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