『大日本史料』 8編 23 長享2年7月~同年11月 p.307

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かぎりなくよろこび給ひ、すなはち竹原山妙覺寺となづけ、最初下向の所地としてます, は、師の宗義をひろめ給ふさま、ひとへに凡人にあらずとふかく信じて歸依し、師鎭西, の、大きにふせぎて功をなす、師はこれよりも數日の説法をこゝろよくなし給ふ、信じ, 弘通のたよりの地になさしめたてまつらんとて、竹原におゐて一宇をこんりうある、師, うやまふもの、日にまし月に重なる、, り、師をかこみて刀杖の難はなはだ急なり、ときに、千葉の家臣平田小十郎といひしも, 〳〵弘通ありしなり、猶多怨嫉の金言顯はれて、權宗の僧俗いかりそしり、道をさへぎ, ひまなび、くるしみてしるの類にはあらず、, 歳なり、壯年のはたらきかくのごとし、これらは豈生知のなすところにあらずや、なら, 上洛弘法第六, 帥大きに弘法化度の功をあらはし、中山へかへらせ給ふ、ときに師はいまだ十九, 長享二年九月十七日, 發折言感瑞第三, 試忍力第四, 靈夢第五, ちなく、靈驗日々にあらたなり、平田氏妙覺寺のだんなにして、今, そののち妙覺寺は佐原の城下にうつされて、さんけい貴賤のわか, なを子孫, 略ス、, ○本文, 相續す、, 略ス、, ○本文, 略ス、, ○本文, 寺ヲ建ツ, 千葉ノ家臣, 平田小十郎, 日親ノ難ヲ, 救フ, 竹原ニ妙覺, 三〇七

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  • ちなく、靈驗日々にあらたなり、平田氏妙覺寺のだんなにして、今
  • そののち妙覺寺は佐原の城下にうつされて、さんけい貴賤のわか
  • なを子孫
  • 略ス、
  • ○本文
  • 相續す、

頭注

  • 寺ヲ建ツ
  • 千葉ノ家臣
  • 平田小十郎
  • 日親ノ難ヲ
  • 救フ
  • 竹原ニ妙覺

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  • 三〇七

注記 (32)

  • 1581,597,59,2245かぎりなくよろこび給ひ、すなはち竹原山妙覺寺となづけ、最初下向の所地としてます
  • 1814,595,58,2241は、師の宗義をひろめ給ふさま、ひとへに凡人にあらずとふかく信じて歸依し、師鎭西
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