『大日本史料』 9編 2 永正6年10月-永正7年12月 p.799

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郎に一味して、相模國住吉の城を取立、弊を伺がふて出張さしかは、上杉治, して運乃盡ざる事なし、然るを今たちまちに逆心を企たて給ふ事、ひとへ, に家運乃かたふく端成だし、たゞおほしめしとまり給へといひけれども、, 伊玄入道此諫言を用ひすして、軍兵をもよをし、沼田乃庄に陣を張て、上杉, 敗北ス, むかしよりこのかた、譜代恩顧の主に向ひて、楯をつき弓を引し者、一人と, 殿を取のきけれは、親屬乃家の子三戸駿河守、太田備中守諫言しをるたう、, 原乃城主北條新九郎入道早雲、駿豆兩別に跨りりふ、相〓をしのぎ、長尾六, ク兵皆一同ニ引退ク、然レトモ後陣ノ軍兵重テ押寄、十一日ヨリ廿九日マ, 家を責ほすへきはらりとをぞいたしける、是をたに難儀と思ふ處に、小田, テ、夜晝廿日責ラレテ、其上出城ノ本覺寺山ヲトラレケレハ、不叶トヤ思ヒ, 士と頼み思はれける所に、長尾六郎爲景に一味して、逆心を企たて、山乃内, 上杉家乃長臣長尾左衞門尉景春入道伊玄は、忠功比類なき股肱乃良, ケン、城ニ火ヲカケ、同廿九日夜中ニ、上田ヲ初メ行方不知落ケレハ、皆悉ク, 〔鎌倉管領九代記〕六長尾景春入道叛逆, 〔鎌倉管領九代記〕, 長尾景春入道叛逆, カヽル、八月三日ノ條ニ收ム、鎌倉九代後記異事ナシ、, ○下略、憲房、爲景ヲ討タンコトヲ幕府ニ請フコトニ, ○上, 略, 宗瑞爲景, ニ應ズ, テ北ク, 城ヲ火イ, 永正七年七月十九日, 七九九

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  • カヽル、八月三日ノ條ニ收ム、鎌倉九代後記異事ナシ、
  • ○下略、憲房、爲景ヲ討タンコトヲ幕府ニ請フコトニ
  • ○上

頭注

  • 宗瑞爲景
  • ニ應ズ
  • テ北ク
  • 城ヲ火イ

  • 永正七年七月十九日

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  • 七九九

注記 (27)

  • 257,613,59,2195郎に一味して、相模國住吉の城を取立、弊を伺がふて出張さしかは、上杉治
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