『大日本史料』 9編 6 永正12年是歳-永正14年6月 p.361

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城を居住とす、新井の城中兵〓ぼく多由を聞、武州勢を率し、道寸後詰と有, 者共難義にをよぶ、其比むさし乃國司として、上杉修理大夫朝興は、江戸乃, 井城中の者ども力をうしなひ、門をひらき切て出、討死すへきか、腹を切べ, 駄ぼみをく、此穴の内も、皆はらつて兵粮米つきはてぬきは、すでに城中の, 乃耻をすゝぐべしとそせんぎする、道寸是を聞、暫く有て〓をおさへ、をの, きかとせんきし々る所に、大森ゑちごの守をはじめ、佐保田河内、同彦四郎、, 縁也、岸根にぼなぎをくおすくの舟に取乘、上總乃國へ移り、下總、武州、上州, の勢をもよほし、上杉殿を先立申、さかみ乃國へ亂入て、早雲を退治し、會〓, 討つうたれつたゝかふといへ共、叶はすして上杉人數武州へ皆引返す、新, 三須參河守申々るは、總州摩呂谷上總介殿は、荒次郎殿乃しうと、親子の契, して、三年籠城す、然に千駄矢倉と號し、大きなる岩穴有、是に常に米穀を千, して、二千騎殘しをき、四五千乃人數新井を退て、甘繩乃近邊に陣取合戰し、, て、さがみの國中ごほりまで打越陣取、早雲此よしを聞、新井乃城おさへと, 〳〵申さるゝ所神妙也、然にそれがしは、上杉高救か男なり、時高養子と成, 將とりといへ共かたくら合戰に人數こと〳〵く討き、小勢なれは叶はす, 永正十三年七月十一日, 之ヲ援ケ, 義同肯ゼ, 敗退ス, 上杉朝興, 模中郡ニ, ントシ相, 出陣ス, ヲ勸ム, 同ニ退城, 部將等義, ズ, 永正十三年七月十一日, 三六一

頭注

  • 之ヲ援ケ
  • 義同肯ゼ
  • 敗退ス
  • 上杉朝興
  • 模中郡ニ
  • ントシ相
  • 出陣ス
  • ヲ勸ム
  • 同ニ退城
  • 部將等義

  • 永正十三年七月十一日

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  • 三六一

注記 (29)

  • 1374,643,63,2192城を居住とす、新井の城中兵〓ぼく多由を聞、武州勢を率し、道寸後詰と有
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