Loading…
要素
割注ノンブル
OCR テキスト
大内義興、義植を奉して京に入、, 理太夫、城を拔て守れり、, 居れり、淡路屋形も、その別派右族なれは、門戸最高かりしと聞ゆ、阿波屋形は、この, 山州の兵を屯す、七年正月、越水城の東に合戰す、高國利を失ひて丹州に退く、三好修, といふ、頼之の弟詮春は、阿波國勝瑞に居る、是を下の屋形といふ、世々相嗣り、凡五, て、國人皆三好に從屬せしなるへし、按するに、細川頼之、四國の管轄・執事の重職とな, 畿・四國等十餘國、細川の屬國となりて、威柄天下に振ふ、故にその支流、みな權要に, に據る、細川澄元、四國の兵を率, 暦應三年より永正四年まて、七主都て百六十八年に及へり、これより養宜細川の家は絶, 後四十年を經て、天文の末に、三好か爲に廢絶せしなるへし、又按するに、永正五年、, 永正六年冬、細川高國か屬將瓦林政頼、越水城, りて、義滿將軍を補佐せしより、嫡流は相續て管領となりて京都に居る、是を上の屋形, 州に奔る、永正八年、細川高國、瓦林政頼をして、鷹尾城, て、兵庫及神呪寺に城を營し、三好元長をして、紺部・西宮に陣せしむ、高國、丹州・, 植を廢して、義澄を立んとなり、淡路兵士細川に從ふ、, 永正七年、三好行長、伊丹城, に據る、細川澄元、是を拔く、行長敗軍して、澄元は播, 阿波屋形細川義春及三好等兵を集む、是義, を守らしむ、細川淡路守、, ○永正五年六月, 河邊, 庫郡, 茅原, 八日ノ條參看、, 攝津武, 郡, 郡, 永正十六年五月十一日, 二一八
割注
- ○永正五年六月
- 河邊
- 庫郡
- 茅原
- 八日ノ條參看、
- 攝津武
- 郡
柱
- 永正十六年五月十一日
ノンブル
- 二一八
注記 (29)
- 976,607,67,815大内義興、義植を奉して京に入、
- 399,612,62,644理太夫、城を拔て守れり、
- 1208,603,75,2216居れり、淡路屋形も、その別派右族なれは、門戸最高かりしと聞ゆ、阿波屋形は、この
- 515,612,77,2228山州の兵を屯す、七年正月、越水城の東に合戰す、高國利を失ひて丹州に退く、三好修
- 1437,609,74,2211といふ、頼之の弟詮春は、阿波國勝瑞に居る、是を下の屋形といふ、世々相嗣り、凡五
- 1666,602,77,2213て、國人皆三好に從屬せしなるへし、按するに、細川頼之、四國の管轄・執事の重職とな
- 1322,603,75,2220畿・四國等十餘國、細川の屬國となりて、威柄天下に振ふ、故にその支流、みな權要に
- 759,1970,66,864に據る、細川澄元、四國の兵を率
- 1780,604,76,2215暦應三年より永正四年まて、七主都て百六十八年に及へり、これより養宜細川の家は絶
- 1092,605,78,2193後四十年を經て、天文の末に、三好か爲に廢絶せしなるへし、又按するに、永正五年、
- 746,611,64,1194永正六年冬、細川高國か屬將瓦林政頼、越水城
- 1551,602,76,2219りて、義滿將軍を補佐せしより、嫡流は相續て管領となりて京都に居る、是を上の屋形
- 169,610,68,1429州に奔る、永正八年、細川高國、瓦林政頼をして、鷹尾城
- 630,615,76,2215て、兵庫及神呪寺に城を營し、三好元長をして、紺部・西宮に陣せしむ、高國、丹州・
- 860,608,69,1389植を廢して、義澄を立んとなり、淡路兵士細川に從ふ、
- 283,611,61,735永正七年、三好行長、伊丹城
- 290,1465,68,1377に據る、細川澄元、是を拔く、行長敗軍して、澄元は播
- 988,1745,67,1090阿波屋形細川義春及三好等兵を集む、是義
- 184,2159,59,647を守らしむ、細川淡路守、
- 1014,1443,46,303○永正五年六月
- 317,1369,45,81河邊
- 740,1823,40,82庫郡
- 209,2053,44,88茅原
- 969,1444,44,277八日ノ條參看、
- 787,1821,43,129攝津武
- 271,1366,45,43郡
- 162,2053,41,41郡
- 1896,715,49,427永正十六年五月十一日
- 1910,2357,53,123二一八







