『大日本史料』 9編 9 永正16年正月-永正16年10月 p.218

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大内義興、義植を奉して京に入、, 理太夫、城を拔て守れり、, 居れり、淡路屋形も、その別派右族なれは、門戸最高かりしと聞ゆ、阿波屋形は、この, 山州の兵を屯す、七年正月、越水城の東に合戰す、高國利を失ひて丹州に退く、三好修, といふ、頼之の弟詮春は、阿波國勝瑞に居る、是を下の屋形といふ、世々相嗣り、凡五, て、國人皆三好に從屬せしなるへし、按するに、細川頼之、四國の管轄・執事の重職とな, 畿・四國等十餘國、細川の屬國となりて、威柄天下に振ふ、故にその支流、みな權要に, に據る、細川澄元、四國の兵を率, 暦應三年より永正四年まて、七主都て百六十八年に及へり、これより養宜細川の家は絶, 後四十年を經て、天文の末に、三好か爲に廢絶せしなるへし、又按するに、永正五年、, 永正六年冬、細川高國か屬將瓦林政頼、越水城, りて、義滿將軍を補佐せしより、嫡流は相續て管領となりて京都に居る、是を上の屋形, 州に奔る、永正八年、細川高國、瓦林政頼をして、鷹尾城, て、兵庫及神呪寺に城を營し、三好元長をして、紺部・西宮に陣せしむ、高國、丹州・, 植を廢して、義澄を立んとなり、淡路兵士細川に從ふ、, 永正七年、三好行長、伊丹城, に據る、細川澄元、是を拔く、行長敗軍して、澄元は播, 阿波屋形細川義春及三好等兵を集む、是義, を守らしむ、細川淡路守、, ○永正五年六月, 河邊, 庫郡, 茅原, 八日ノ條參看、, 攝津武, 郡, 郡, 永正十六年五月十一日, 二一八

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  • ○永正五年六月
  • 河邊
  • 庫郡
  • 茅原
  • 八日ノ條參看、
  • 攝津武

  • 永正十六年五月十一日

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  • 二一八

注記 (29)

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