『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.53

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

御越年なり、, ミ、先大三ツ嶽へ責上ル、城中寄手ノ大勢ニ機ヲ失ヒ、防キ兼テ見ヘケル處, 悟と見えて、御前近く走り來る、桂上總介御前に有けるか、孰れの家頼にて, 男にて可有御座が申候、扨又六戸殿、福原、桂、吉見各の家中にて高名仕たる, 高橋家人承り、此者は長野從弟に、九州に隱れなき大力の剛の者有之候、其, 守押て首を取、小早川殿衆にも、河井大炊助、神田右馬丞分捕仕る、然る處に, を投捨、刀を拔て、元春へ切て懸る、元春も御腰物にて切拂玉ふ、後に見れは, 候哉、假名は何と申候哉と詞を懸る、そこにて見知れたると心得、持たる首, 兩川殿居給ふ處、年こ海四拾計の大男、茜の弓小手を指、首を捉、可備實驗〓, 机を立給す、見事成御仕方と奉感候、右之男を見知たる者無之、不審仕處に, 御胸板に刀の當りたる跡有、桂上總介。安國寺懸隔て仕伏申候、兩川殿御床, 者多し、敵を討取、其數五百七拾餘人なり、兩川殿御機嫌能、其年は此處にて, し、己か腹を〓拔き、深井の胴の眞中をさし通し、二人共に倒るゝ處を、常陸, 豐前國三ツ嶽沒落之事, 永祿十一年霜月五日、卯ノ上刻ヨリ敵城ヲ取圍, 陰徳記, ○温故私記、藝, 陽記異事ナシ、, ○上略、毛利、吉川、小早川諸, 氏ノ出軍ノコトニカヽル, 四十, 二, 隆〓部下, ノ戰功ノ, 奪取, 大三ケ岳, 永祿十一年九月四日, 五三

割注

  • ○温故私記、藝
  • 陽記異事ナシ、
  • ○上略、毛利、吉川、小早川諸
  • 氏ノ出軍ノコトニカヽル
  • 四十

頭注

  • 隆〓部下
  • ノ戰功ノ
  • 奪取
  • 大三ケ岳

  • 永祿十一年九月四日

ノンブル

  • 五三

注記 (28)

  • 656,703,58,349御越年なり、
  • 297,704,62,2195ミ、先大三ツ嶽へ責上ル、城中寄手ノ大勢ニ機ヲ失ヒ、防キ兼テ見ヘケル處
  • 1572,710,61,2195悟と見えて、御前近く走り來る、桂上總介御前に有けるか、孰れの家頼にて
  • 882,700,60,2198男にて可有御座が申候、扨又六戸殿、福原、桂、吉見各の家中にて高名仕たる
  • 997,705,60,2203高橋家人承り、此者は長野從弟に、九州に隱れなき大力の剛の者有之候、其
  • 1804,712,62,2210守押て首を取、小早川殿衆にも、河井大炊助、神田右馬丞分捕仕る、然る處に
  • 1341,711,61,2202を投捨、刀を拔て、元春へ切て懸る、元春も御腰物にて切拂玉ふ、後に見れは
  • 1456,708,61,2204候哉、假名は何と申候哉と詞を懸る、そこにて見知れたると心得、持たる首
  • 1689,708,62,2204兩川殿居給ふ處、年こ海四拾計の大男、茜の弓小手を指、首を捉、可備實驗〓
  • 1111,704,61,2213机を立給す、見事成御仕方と奉感候、右之男を見知たる者無之、不審仕處に
  • 1227,707,60,2198御胸板に刀の當りたる跡有、桂上總介。安國寺懸隔て仕伏申候、兩川殿御床
  • 767,703,61,2188者多し、敵を討取、其數五百七拾餘人なり、兩川殿御機嫌能、其年は此處にて
  • 1923,713,60,2198し、己か腹を〓拔き、深井の胴の眞中をさし通し、二人共に倒るゝ處を、常陸
  • 536,1209,59,699豐前國三ツ嶽沒落之事
  • 419,1489,59,1409永祿十一年霜月五日、卯ノ上刻ヨリ敵城ヲ取圍
  • 532,682,74,226陰徳記
  • 685,1068,42,409○温故私記、藝
  • 643,1074,41,410陽記異事ナシ、
  • 451,708,45,758○上略、毛利、吉川、小早川諸
  • 409,704,42,759氏ノ出軍ノコトニカヽル
  • 570,990,39,104四十
  • 526,989,45,33
  • 1830,356,40,165隆〓部下
  • 1786,359,38,157ノ戰功ノ
  • 327,339,42,80奪取
  • 374,344,38,167大三ケ岳
  • 202,773,45,382永祿十一年九月四日
  • 198,2488,46,79五三

類似アイテム