『大日本史料』 11編 9 天正12年9月 p.83

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

たひ武士を立ましきと申上る、利家公もいつれも尤たしかなる見樣、侍の手本と感し被申, 候へは、流石神保も、尤左樣に可有事必定と油斷被仕候、利家公は先手へ御越有て、不破、, 村井に御相談被成、濱はたを一騎うちに馬の舌をまかせて、いなゝかさる樣に押通被成, 候、猶々たしかに見屆んため、川中迄馬を乘入、心靜に見屆申候、是を見ちかへ候はゝ、二, 廿騎召連、川尻近所にて追付、爰にて具足を著、篠原勘六參候と大音にて甲上る、利家公、, 候、此時たれやらん川端へ斥候に被遣、神保後詰を聞、人數を下し待居候か、見はからへと, 門殿御父子なから、津幡迄御出勢にて候か、中々後卷可被仕躰にて無御座候由相極候と申, 利長公御大慶不淺、諸傍輩下々まて、あつはれ剛強の若もの哉と譽申候、然は神保父子川, を待候得、不叶は腹を仕候へ之由、達而被仰候故、無力居申候得とも、乘物に打乘、與力侍, 申上るは、敵は御後卷不存候哉、一人も人數下り不申候、川杭澤山に候か、人の樣に相見へ, 被仰付候處に、見て歸、敵こそ備て待候と申上る、次に富田越後に被仰付、勘六物見して歸, 尻河を前に、當山の上に備、加州の押へとして居申候、津幡へ遣候目付立歸申候は、又左衞, は、越後申上候、武者ならは並そろひ申間敷候、其うへ指物なとも可有候か、並能そろひ申, 申候、早々御押通被遊候への由申、利家は御意に川杭とは何を目當に仕候哉と被仰候へ, 由申候得とも、是非々々留りて自然我等討死せは、能く城を堅固に持堅め、秀吉公の出陣, 天正十二年九月十一日, 氏張ハ山, 上ニ陣ス, 八三

頭注

  • 氏張ハ山
  • 上ニ陣ス

ノンブル

  • 八三

注記 (19)

  • 302,661,62,2199たひ武士を立ましきと申上る、利家公もいつれも尤たしかなる見樣、侍の手本と感し被申
  • 1215,652,66,2206候へは、流石神保も、尤左樣に可有事必定と油斷被仕候、利家公は先手へ御越有て、不破、
  • 1100,654,67,2214村井に御相談被成、濱はたを一騎うちに馬の舌をまかせて、いなゝかさる樣に押通被成
  • 414,654,68,2204候、猶々たしかに見屆んため、川中迄馬を乘入、心靜に見屆申候、是を見ちかへ候はゝ、二
  • 1670,653,67,2206廿騎召連、川尻近所にて追付、爰にて具足を著、篠原勘六參候と大音にて甲上る、利家公、
  • 988,653,65,2212候、此時たれやらん川端へ斥候に被遣、神保後詰を聞、人數を下し待居候か、見はからへと
  • 1329,652,66,2216門殿御父子なから、津幡迄御出勢にて候か、中々後卷可被仕躰にて無御座候由相極候と申
  • 1556,656,67,2212利長公御大慶不淺、諸傍輩下々まて、あつはれ剛強の若もの哉と譽申候、然は神保父子川
  • 1785,656,67,2216を待候得、不叶は腹を仕候へ之由、達而被仰候故、無力居申候得とも、乘物に打乘、與力侍
  • 755,654,69,2199申上るは、敵は御後卷不存候哉、一人も人數下り不申候、川杭澤山に候か、人の樣に相見へ
  • 872,650,68,2216被仰付候處に、見て歸、敵こそ備て待候と申上る、次に富田越後に被仰付、勘六物見して歸
  • 1442,657,67,2210尻河を前に、當山の上に備、加州の押へとして居申候、津幡へ遣候目付立歸申候は、又左衞
  • 528,660,65,2203は、越後申上候、武者ならは並そろひ申間敷候、其うへ指物なとも可有候か、並能そろひ申
  • 643,657,66,2196申候、早々御押通被遊候への由申、利家は御意に川杭とは何を目當に仕候哉と被仰候へ
  • 1900,650,67,2218由申候得とも、是非々々留りて自然我等討死せは、能く城を堅固に持堅め、秀吉公の出陣
  • 208,689,44,427天正十二年九月十一日
  • 1475,279,42,167氏張ハ山
  • 1432,281,41,159上ニ陣ス
  • 201,2411,41,69八三

類似アイテム