『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.623

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招に應じて、同所より船に乘り、其家臣と共に津の國に渡りたり、ドン・サン, ぎし復活祭は、三箇所に於て行ひたり、飯盛城下の地にして、其地の領主は, けたり、予は收入年額五六千クルサドを有する他のキリシタンの武士の, 他の船予を迎へん爲めに來り、他の人々聽聞せんと欲するが故に、直に再, て十人に洗禮を授けたり、同地より堺に歸りて後、十日又は十二日を經て、, チヨは、予と同行せしが、予は船中に於ては、彼が其文字にて書き留めゐた, 名をサンチヨと云ひ、目下自費を以て、甚だ好き會堂を建築中なり、彼は日, 本國中最良のキリシタンの一人にして、當地方に於ては、諸人彼を信仰の, るパードレ・メストレ・べルシヨール編纂のドチリナ・キリシタンの書を、其, 柱又父と推せり、尊師若し書翰に添へ、聖珠數又は聖物を贈り給はゞ、彼は, イルマンは、キリシタン及び異教徒に説教をなし、予は懺悔を聽き、同處に, より、非常に歡迎せられ、十日間同地に滯在して、晝夜説教をなせり、日本の, 妻及び家族をして聽聞せしめ、キリシタンとならしむべき旨通知せり、過, 大に喜ぶべし、復活祭の當日、予は同所に於て、十人又は十二人に洗禮を授, 國語にて彼に説明することの外なさゞりき、尼ケ崎に著し、キリシタン等, 建築, 河内飯盛, 城下會堂, 攝津尼ケ, 崎ニ赴ク, 永祿十一年是歳, 六二三

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  • 建築
  • 河内飯盛
  • 城下會堂
  • 攝津尼ケ
  • 崎ニ赴ク

  • 永祿十一年是歳

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  • 六二三

注記 (22)

  • 1109,669,60,2193招に應じて、同所より船に乘り、其家臣と共に津の國に渡りたり、ドン・サン
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