『大日本史料』 10編 2 永禄12年3月~同年6月 p.360

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し、支那の船來りたる後、予に告ぐべしと云へり、, ましむべしと言ひ、次に彼に贈りし品を喜ぶことを告げたり、予が立ちし, 述ぶることは、極めて稀なることなるが、二囘和田殿に對し、予に勸めて飮, 時、彼は後より密に座敷の戸を見、身長何程なるかを計りたり、我等外に出, の知らるゝ如く、公方樣は日本の彫像にして、之を訪問する者に、一言をも, んとせり、予は人を堺に遣し、ローケより借受けたる美麗なる孔雀の尾を, でたる後、和田殿に對し、常例の挨拶をなし、公方樣若し印度の品にて好む, しと言へり、彼は直に宮殿に到りて予を待受け、公方樣彼を甚だ寵愛せる, が故に、予が何人なるかを告げ、パードレの名譽地位を月の角の上に置か, 持參せり、公方樣は其盃を予に與へ、和田殿は予の次に之を受けたり、尊師, び彼の登れる榮位及び公方樣の地位恢復に就きて、, 物あらば、我等は喜んで其命に應ずべしと述べたれば、彼は此事に付盡力, 第八十三章信長の素生に就きて、また彼の性格、彼の權力、彼の富及, 信長の此〓然の決斷と、此勇敢なる行爲とは、山城、津ノ國、, 〔ルイスフロイス日本史〕(歐文材料第七號譯文), ○上略、信長上洛, ノコト二カル, 義昭ニ〓, ス, 永祿十二年四月十四日, 三六〇

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  • ○上略、信長上洛
  • ノコト二カル

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  • 義昭ニ〓

  • 永祿十二年四月十四日

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  • 三六〇

注記 (21)

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