『大日本史料』 10編 4 元亀元年2月~同年9月 p.925

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

戰功おほしといへとも、あけくしるすにいとまあらす、, 佐の城中より出そふせきたゝかふ、十九日、朝倉、淺井の兵坂本をなかん, 故以爲寺號、森氏代々石塔及牌子有之、可成牌名曰、前讚岐太守心月淨翁大, ともに三万餘騎の軍勢を引ゐて、叡山坂本の邊によせきたる時、可成宇, 時に、可成軍功あり、永祿元年、信長、尾張浮野にて合戰のとき、可成あひし, 寺の城をなふる、主税頭降參す、元龜元年五月、信長、江州をせむる時、可成, たかふ、同三年、信長、今川義元と合戰の時、可成したかひゆく、同十一年、信, 志賀、宇佐山の兩城をまもる、同年九月十六日、朝倉義景、淺井備前守あひ, 長にしたかひ、近江箕作の城をせむる時、佐々木承禎の兵をるふり、その, 妻營構寺院、以英岩和尚爲開山、越後守法名大龍、故以名山、三左衞門名可成、, とす、可成いさみたゝかひ、つゐに討死す、歳四十八、此外所々にて度々の, 傳云、森越後守始建一寺、三左衞門可成元龜元年九月十九日戰死于江州、其, ゝち可成、柴田修理亮、蜂屋兵庫頭、坂井右近と岩成主税頭をせめて青龍, 〔濃州徇行記〕, 可成寺臨濟宗、號大龍山、屬洛陽妙心寺、, 錦織上兼山村, 寺觀, 菩提寺, 法名, 元龜元年九月二十日, 九二五

割注

  • 錦織上兼山村
  • 寺觀

頭注

  • 菩提寺
  • 法名

  • 元龜元年九月二十日

ノンブル

  • 九二五

注記 (21)

  • 792,717,69,1646戰功おほしといへとも、あけくしるすにいとまあらす、
  • 1030,717,79,2128佐の城中より出そふせきたゝかふ、十九日、朝倉、淺井の兵坂本をなかん
  • 288,638,80,2199故以爲寺號、森氏代々石塔及牌子有之、可成牌名曰、前讚岐太守心月淨翁大
  • 1150,733,81,2112ともに三万餘騎の軍勢を引ゐて、叡山坂本の邊によせきたる時、可成宇
  • 1891,733,80,2118時に、可成軍功あり、永祿元年、信長、尾張浮野にて合戰のとき、可成あひし
  • 1395,726,81,2131寺の城をなふる、主税頭降參す、元龜元年五月、信長、江州をせむる時、可成
  • 1766,736,81,2124たかふ、同三年、信長、今川義元と合戰の時、可成したかひゆく、同十一年、信
  • 1274,725,80,2122志賀、宇佐山の兩城をまもる、同年九月十六日、朝倉義景、淺井備前守あひ
  • 1648,727,77,2124長にしたかひ、近江箕作の城をせむる時、佐々木承禎の兵をるふり、その
  • 409,641,85,2212妻營構寺院、以英岩和尚爲開山、越後守法名大龍、故以名山、三左衞門名可成、
  • 905,724,82,2118とす、可成いさみたゝかひ、つゐに討死す、歳四十八、此外所々にて度々の
  • 532,638,82,2205傳云、森越後守始建一寺、三左衞門可成元龜元年九月十九日戰死于江州、其
  • 1517,736,82,2119ゝち可成、柴田修理亮、蜂屋兵庫頭、坂井右近と岩成主税頭をせめて青龍
  • 658,603,102,419〔濃州徇行記〕
  • 656,1645,69,1212可成寺臨濟宗、號大龍山、屬洛陽妙心寺、
  • 702,1082,48,464錦織上兼山村
  • 662,1082,40,109寺觀
  • 442,282,43,127菩提寺
  • 319,283,41,83法名
  • 198,718,47,387元龜元年九月二十日
  • 183,2438,43,124九二五

類似アイテム