『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.248

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は大河、左は山の下道、一騎うちの節所なれば云々、弓鉄炮を先々へ廻し相, て、下鹿取村に陣をとる、長島近邊乃一揆、雲霞の〓く起ツて山々へ移り、右, 揆とも起り、終にト全は討たれにけり, 六日、在々所々放火し、多藝口乃勢も所々放火す、信長、湯淺甚助、野々村三十, 支ぬ云々、氏家づ先手種田信濃守云々等殿をうけとり、晩に及雨降、一揆彌, 柴田修理亮、其次は伊賀平左衞門なり、氏家入道は平左衞門を結請可退と, 郎を使として、多藝口乃勢引取れとの給ひければ、諸勢引退く、初め乃殿は, 田修理亮、氏家常陸入道、伊賀平左衞門云々等なり、信長津島に馬を立、同十, 舊記にいへり、, 云々とみ, 付慕ふ云々、殿の兵を跡に立て、氏家先へ退きけるに云々、太田村近邊の一, 氏家常陸介直元, 谷水をト全澤といふ、むかし氏家ト全の首を洗ひし故名つけしよし、高須, 太田村, 卜全澤は當村大垣乃藏屋敷ある其西北より大川へ流れ出る, 氏家卜全は、永, えたり、信長記、總見記等にしなせるも、大む〓これにおなし、, 〔新撰美濃志, 祿三年より元龜二年迄十二年守りしり、永祿四年、齋藤龍興の命をうけく, 大垣, の神崇りと時の人いヘり, 或曰、ト全討死、亂妨故、多度, ○中, は友國, ○中, あるひ, 安八郡上, 略, 略, 七, 大垣, (), ト全澤, 元龜二年五月十二日, 二四八

割注

  • の神崇りと時の人いヘり
  • 或曰、ト全討死、亂妨故、多度
  • ○中
  • は友國
  • あるひ
  • 安八郡上
  • 大垣
  • ()

頭注

  • ト全澤

  • 元龜二年五月十二日

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  • 二四八

注記 (35)

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