『大日本史料』 10編 9 元亀3年3月~同年7月 p.112

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武藏守・赤塚吉右衞門, 谷筋を御下り、川側杢馬場といふ処に御馬を立せらる、此ゟ木崎原へは其間拾町はかり, 時こ攻掛るへしとて、跡につゝひて遣さる、御供之勢僅五拾余騎計り、二八坂ゟ西の野, 通なく、後の谷道を御通あつて、加久藤之後の遠目塚迄御出ありしに、番人ゟ敵は只今, 木崎原の方え引取候と申に依つて、直こ二八坂に御登り御一覽あれとも、夜はしら〳〵, 究り、木崎原向之小岡にこぞり居候、其勢貳千七八百幾候得共、昨夜軍に草臥れ、惣勢, 掛るへしと仰也、寛柄畏り、手勢六拾人余り、川の下瀬を打渡り、末長のにしに向て鞭, と明はなれて、敵は木崎原朝霧の中に群集せり、則沢田八專を召され、汝急に物見仕れ, つかれ入て見得候、唯今透さす御掛り御急戰候はゝ、敵もろく敗北仕へく候、早〳〵と, 進め奉る、忠平公も尤也、さあるへきそとて、鎌田寛柄をめされ、汝者敵の横合鳥越ゟ, と仰付らる、八專畏り、馬を飛して木崎原のあたりを一巡し罷歸り申上は、敵進退爰に, の歴々、御家老鎌田尾張守寛柄・上井次郎左衞門・久冨半五左衞門・和田圓覚院・佐谷田, を加へて押てゆく、また五代勝左衞門は、勢を潜め、鞍津輪村野間門ゟ時分をみ合せ、同, ・宮原伊賀守等、其外都合百五拾人余也、本通は態と御, 有て、一ツの直道あり、此時加久藤の人数は未た押來らす、三千計の大敵に、纔の御旗, 以上三人御, 兵具奉行、, 原ニ屯ス, 伊東勢木崎, 元龜三年五月四日, 一一二

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  • 以上三人御
  • 兵具奉行、

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  • 原ニ屯ス
  • 伊東勢木崎

  • 元龜三年五月四日

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  • 一一二

注記 (21)

  • 1680,658,60,566武藏守・赤塚吉右衞門
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