『大日本史料』 10編 10 元亀3年8月~同年12月 p.36

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其船の着たる邊を船里といふなり、神詠なりといひ傳る歌、, し、末次中原といふは、慶長以來、中原村の民家絶たることありしに、末次村の民うつ, り居る者多かりけるゆへに、惣名となして、末次とはいへり、濱を荒隈といふも、荒芒, 己貴命此國にいたりて、興言曰、葦原の中國本自荒芒とのたまふ、葦原の中國の上下の, 皇靈尊・素盞嗚尊を合祭、ゆへに五社明神ともいふなり、此所を末次中原といふは、大, 草木とのたまふ、草木の二字を去て、荒芒とはいふなり、後に荒隈洗合とも書なり、社, なり、此故に照床の社ともいふなり、少彦名命白蕨の皮を船となして、乘きたりたまふ、, を照床といふは、昔年、荒芒より光を放、湖を照して浮きたるものあり、即ち少彦名命, 二字を反覆して、中原といへり、外の字を付事は、堀尾氏當城を築たまふ時、中原村の, 照牀明神當社は、風土記に載る阿羅波比社なり、少彦名命・大己貴命・天照大神・高, 中廓となりたる所を、内中原といへり、此地は郭の外なるゆへに、外中原といふなるへ, 病ともおさめましなふみちしるへ, 外中原, 雲陽志〕, 吾代の中にあらんかきりは, 島根郡, 照牀明神, 元龜三年八月六日, 吾代の中にあらんかきりは, 三六

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  • 島根郡

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  • 照牀明神

  • 元龜三年八月六日
  • 吾代の中にあらんかきりは

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