『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.267

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保・天野はよき程に戰て、人數を輕く引揚げけるとなり、濱松の軍士等評じけるは、, れば、甲州勢合戰はかしこに有りとや思ひけん、我おとらじと、究〓の兵等かけ立ん, 野は鐵炮打かけ、敵陣亂れ立けれは、犀峪を廻りて向ふに至り、戰ふふりして見セけ, 田七九郎康忠か不覺に、天野三郎兵衞が手柄は、若干の違ひ也と、口をひそめてさノ, 氏勝はかけ立んと乘り出しけるが、犀峪へ落入るを見て、爰にろあるぞと大音聲に座, 柄して、大久保忠世は弟治右衞門忠佐か晝の合戰不覺に始し越度を埋めたりしが、柴, として、犀峪へ落入けれ共、暗くして向ふは見へず、落入り死する者二干餘人、馬場, に乘り行を、氏勝鑓の柄を持て、ろの有るぞと押し留めけるゆへ、一生を得たり、大久, 大久保・天野微力を以て夜討し、甲州勢多く討取りし事、計略的中し、誠に莫大の手, はりけるゆへ、跡勢は死をのがれたり、原隼人佐も馬上に挑燈を持ながら、眞一文字, 亦翌廿三日未明に、濱松勢は、甲州方穴山梅雪が陣所うすく見へけるゆへ、味方原の東へ, 早くひらき給へとを取て、昌景馬添へして、遠く退き在しといへり、又大久保・天, 押し寄セ、輕卒を進めて鐵炮數十挺打ちかければ、彼手の先手有泉大學・保坂常陸助・同, やき合へり、, 徳川氏方ノ, 景ノ功ヲ評, 將士忠世康, ヲ犀ガ畦一, 天野康景敵, 誘キ寄ス, 大久保忠世, ス, 元龜三年十二月二十二日, 二六七

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  • 徳川氏方ノ
  • 景ノ功ヲ評
  • 將士忠世康
  • ヲ犀ガ畦一
  • 天野康景敵
  • 誘キ寄ス
  • 大久保忠世

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 二六七

注記 (24)

  • 1022,744,60,2139保・天野はよき程に戰て、人數を輕く引揚げけるとなり、濱松の軍士等評じけるは、
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