『大日本史料』 10編 14 天正元年2月~同年3月 p.233

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し八人は、總司令官直に之を斬首せり、, 都に著きて、其心寛大にして思慮あり、時に臨んで能く己の情を撓むることを示したり、, 者一人もなく、信長は四日間引續き公方樣と平和の交渉をなし、種々の人を以て温和にし, 者あらば、之を殺すべしと命ぜしめ、文字通り直に之を實行し、暴力を以て侵入せんとせ, て敬意を表せる言を傳へ、公方樣、若し可なりと認めば、彼及び其子は頭を剃り、少しも, 材木を奪ひたる者ありき、信長は心中非常に之を憤り、大なる〓辱と考へたり、然れども, 手せしが、, 都に留むることは不可能なりと信ぜしが、信長の名のみにても、甚だしく諸人に恐れらる, ゝのみならず、軍事に於て大に彼等に勝れたること認知せられたるが故に、來らんと思ふ, 彼は直に總司令官柴田殿に命じて觸を都に出し、軍隊の兵士市内に入り、又は亂暴をなす, 信長は上の都に於て、屋根を以て蓋ひたる厚き壁を以て, 其到著の數日前、公方, 諸人は信長が越前三人衆・大坂及び三好殿背後より攻むべきを恐れ、軍隊を一日半以上, 樣は、悉く之を破壞することを命じ、上の都の人々の中、貪慾の爲め構内に在りし最良の, 新に廣大なる圍を設け、其内に宮殿を建築せんとし、門は既に出來し、ザシキの建築に著, 〓ノ第ヲ造營セシムルコト、元龜三年三月二十一日ノ條ニ見ユ, ○上略、信長、上洛シ、知恩院ニ陣スルコ, ○義昭、權大納言徳大寺公維ノ武者小路ノ第ヲ收メテ、信長ニ興へ、, トニ力ヽル、本月二十九日ノ條ニ收ム、, 造營セル第, ヲ破壞ス, 義昭信長ノ, 天正元年三月七日, 二三三

割注

  • 〓ノ第ヲ造營セシムルコト、元龜三年三月二十一日ノ條ニ見ユ
  • ○上略、信長、上洛シ、知恩院ニ陣スルコ
  • ○義昭、權大納言徳大寺公維ノ武者小路ノ第ヲ收メテ、信長ニ興へ、
  • トニ力ヽル、本月二十九日ノ條ニ收ム、

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  • 造營セル第
  • ヲ破壞ス
  • 義昭信長ノ

  • 天正元年三月七日

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  • 二三三

注記 (24)

  • 877,688,62,944し八人は、總司令官直に之を斬首せり、
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