『大日本史料』 10編 14 天正元年2月~同年3月 p.304

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置、其後勢州へ使をこし、舟をよひ、長嶋へあかり、片時もはやく天下に旗をたて、公, 候、石川伯耆は信長へ加勢として、近江の國迄行つるか、歸りて味方か原へすくにきて, 耆兩人すつはをいたし見せつれは、當方脇備をさきへくり、跡備をわきへくりまはし、, 方へ御禮申上、參内をとけ、玉體を拜し申へく候、是は手間取時の談合なり、三河・遠, 州の侍家康をすて、當家へ歸伏するに付ては、陸をのほるとも、家康さへ滅却仕候はゝ、, 夜軍に出さす候、され共大久保七郎右衞門と云者、鐵炮衆をつれて出うちかけたると申, てからめり口はやく、義理も作法もしらす、主か被官になり、我身さへ助かるならは、, とかもなき親類傍輩をも斬て出し、繩を懸られても、恥とおもはさる樣子と聞えてあり、, 信長には百日と手間は取ましい、尾州より都まての弓矢形義は、勝てから威つよく、後, 合戰仕たる先衆を兩方へをしのけ、一手ことに捨本兩篝を用、二度目の軍持たるを見て、, 來次第、小田原氏政人數を一万よひ、穴山か、典廐か、一條いつれも一家衆の内一人指, 首尾にあふ時、土岐殿家の侍淺岡と云者に弓法知たる人有、是に向ひ信玄と軍ありて討, 合戰にまけて、其夜又夜合戰に出へき支度を專仕たるに、家老の酒井左衞門尉・石川伯, 入つくる事肝要なり、一度勝たるにつきては手間とる事あるましと、家康は味方か原, 頑強, 陸路ニヨル, 海路ニヨル, 家康ノ兵ハ, 武士氣質, 信長ノ兵ハ, 破リ易シ, 上洛, 尾張以西ノ, すつぱ, 上洛, 天正元年三月是月, 三〇四

頭注

  • 頑強
  • 陸路ニヨル
  • 海路ニヨル
  • 家康ノ兵ハ
  • 武士氣質
  • 信長ノ兵ハ
  • 破リ易シ
  • 上洛
  • 尾張以西ノ
  • すつぱ

  • 天正元年三月是月

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  • 三〇四

注記 (27)

  • 1604,755,64,2143置、其後勢州へ使をこし、舟をよひ、長嶋へあかり、片時もはやく天下に旗をたて、公
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