『大日本史料』 10編 15 天正元年4月 p.372

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〔武功聞書〕, 州の昔語りなとせしに、薩摩云、度々信玄公出陣に高坂御供せしによつて、予も軍立せ, カラス、然ラハ信玄渉ヲ討ヘカラスト考テ、輝虎ハ死地ニ入テ生地ヲ求タルナリト、越, ヌ沈ミヌ流レタリ、流石ノ輝虎モ川中ニ落入、流木ニ取付、漸陸へ上リ玉ヘハ、相伴フ, 後ノ將士ハ云ルニヤ、, 勇士、水ノ爲ニ命ヲ失フモノ多シ、信玄コレヲ見玉ヒ、輝虎ハ今歳廿九歳カ、勇氣アマ, ノ大將ノ心スヘキ事也ト云レシトカヤ、但孫子ノ五事第三ニ、地ハ遠近險易廣狹ノ死生, リ有テ思慮タラス、少シモ人ニ弱ケヲ見セシトノミ働カルヽカ故ニ、出水ノ川へ打入、, 一、右の原薩摩は豐前小倉にて病死、其時百餘才まて長命なりしとなり、老て常の咄に甲, 危キ目ヲハ見ツルソ、暴虎憑河ト譬ノ節ノ如ク、渉テカラカ手柄ニアラス、國ヲ持ホト, しに、いつの御陣にも、負へきとおもふ事一度もなく、危かりなんとおもふ事なく、い, ナリト云ハ、出水ノ川ハ即險ノ死地ト知ヘシ、依テ信玄ハ孫子ヲ信シテ、コノ川ヲ渉へ, つも勝事とのみおもひ、只武邊せんとのみおもひし也、是は我一人に限らす、甲州信玄, 公の御下の侍はみなかくありし也、良將の下に弱兵なしといへる尤也、但信玄公御武徳, 八十九所收, ○蕗原拾葉, ニ從ヒ出水, 信玄ノ諸士, ノ川ハ渉ラ, 敗戰ヲ豫想, 孫子ノ兵法, セズ, ズ, 天正元年四月十二日, 三七二

割注

  • 八十九所收
  • ○蕗原拾葉

頭注

  • ニ從ヒ出水
  • 信玄ノ諸士
  • ノ川ハ渉ラ
  • 敗戰ヲ豫想
  • 孫子ノ兵法
  • セズ

  • 天正元年四月十二日

ノンブル

  • 三七二

注記 (25)

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