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州の名所歌枕の地なるゆへ、御稱號を長岡と御改被成候、, くして藪なり、水堀廻りて、其外堀の樣子等今以繩張のまゝと見ゆる所多く、沼田, 我等は代々此所の領主なり、禮に出へき子細なしとて不出、, 西岡の内にて、三千貫の地を御拜領之時、此城を御取立、御在京之里城と被成候、, 號るものか、惣名を西の岡と云て、東の方桂川を限り、西は丹波の山に至、南は山, 崎、北は嵯峨を境とする由、城地ハ青龍寺村・神足村は勿論、上野村迄も御郭内に, 長岡の都は、桓武天皇延暦三年ニ、奈良の京を移され、十三年に及ひて、今の平安, 城に遷都あり、此所樫木原の南より、山崎の北まて、南北長き岡山なれは、長岡と, 丸・松井米田・神足屋敷なと申傳有之候、初は至而小城なりしを、追々御廣め被成, て有之たるとなり、根元は、畠山義就初て城を築かれし由、其後明應六年、元有君, 今以御本丸の地と見へ、畑作りニ成て、東西五十間程、南北四十間程、土居の跡高, たるなるへし、元龜二年こも御普請之事見へ申候、御城跡并方角之繪圖別紙こ, も無之候、今度城州之内、桂川を限り、西地不殘御領地ニ成所、長岡の舊都にて、城, 有、, 其外はささゆる者, 譜」同ジ, ○「細川家, ニ出、, 左ニ詳, 長岡ト改ム, 細川ノ氏ヲ, 長岡舊都, 青龍寺城ヲ, 居城ト爲ス, 天正元年七月十曰, 三一〇
割注
- 譜」同ジ
- ○「細川家
- ニ出、
- 左ニ詳
頭注
- 長岡ト改ム
- 細川ノ氏ヲ
- 長岡舊都
- 青龍寺城ヲ
- 居城ト爲ス
柱
- 天正元年七月十曰
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- 三一〇
注記 (26)
- 1501,732,73,1464州の名所歌枕の地なるゆへ、御稱號を長岡と御改被成候、
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