『大日本史料』 10編 21 天正2年2月~同年4月 p.159

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如此の躰になり、四十五歳の時より當年まて廿六年の間、今川義元に扶持をうけ、, 州御牢人の時分廿六年以前は、我等奉公もいたさず、日向大和にかゝり、歳廿のう, 夏中此圓福寺へうつりてあり、又信虎牢人の次年、駿府にて男子一人持て候、義元, 日向源藤齋と名乘、何者ぞと御尋有、源藤齋申、日向大和が親類にて候、信虎樣甲, く思召、いかにもしまりたる分別ある者を一人、此僧と御越候へと有儀にて、日, 當年はや七十に成、義元存生の間は、信虎甲州にゐる時のごとくに會釋ありて、今, 川家の侍衆、御舅殿と信虎をあがめ申つれ共、四年先庚申五月十九日に義元討死の, れ候、源藤齋十七日に懸川圓福寺に著、其夜に信虎公御目にかゝる、信虎公被仰、, 是をも小舅の會釋にいたされ、騎馬を二十預り、武田の上野守と名乘、當年廿五歳, 後、子息氏眞、信虎を祖父の會釋にせず候故、去年戌の春までは駿河に有つれ共、, の心やすく思はれ候はゞくるしからず候とありて被仰は、信虎信玄にだしぬかれ、, ちにて候、元來は信濃本國にて候と申上る、信虎公聞召、縱何物にてもあれ、信玄, 向源藤齋を正月十三日に被仰付、其日に甲府をたゝせ、遠州懸川圓福寺へ指越なさ, になる、此上野守十六歳の時まふけたる子、我等名を付候に、信玄にあやかるやう, 冷遇セラル, 今川氏眞一, 天正二年三月五日, 一五九

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