『大日本史料』 10編 21 天正2年2月~同年4月 p.160

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方のたゑ給ふことなし、其心得有べく候と、折々信玄公へ信虎公より被仰越候、か, まて公方御送りある、我家の系圖是なりと申上候、然ば三好道なき故、光源院殿御, 聟故、是へたより、都へ上り候、然は上野信玄の弟なれば、是父子共をねんごろし, 妹聟に成御恩を抛、去年乙丑義輝公をうち奉る、左ありても、侍のあるほどは、公, 葉も懸られず候間、信虎は三日の内に上洛仕り、都の邊に居申へく候、公家の菊亨, 御をくり被成候間、信虎頭を地に付、則申上る、武田の家のあらんかぎりは、廣縁, 去年より居候へは、三浦右衞門と云氏眞の出頭人さゝへて、上野父子まで氏眞の言, にとて、勝千代と付候、此子當年十歳になり候、上野父子にすごされ、此圓福寺に, 殿に、上野妹當年十九歳になるを、義元存生の時祝言させ給ふにより、菊亨殿信虎, のつよくまします信虎公も、御父子の間なれば、信玄公御吉事の義を折々被仰候と, 給へと、信玄へよくいへと、源藤齋に被仰付候、, 之候、其趣は、去甲子三月、公方光源院殿へ信虎御禮申上、罷歸候處に、廣縁まで, 〔甲陽軍鑑〕十下, 中寅の六月廿四日に、信虎公より同年五月五日の日付にて、信玄公へ御かき被進, ○中, 拜〓シ厚遇, 將軍義輝二, 婿菊亨晴季, セラレシコ, ヲ頼リテト, トヲ子晴信, 洛セントス, 二報ズ, 天正二年三月五日, 一六〇

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  • ○中

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  • 拜〓シ厚遇
  • 將軍義輝二
  • 婿菊亨晴季
  • セラレシコ
  • ヲ頼リテト
  • トヲ子晴信
  • 洛セントス
  • 二報ズ

  • 天正二年三月五日

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  • 一六〇

注記 (25)

  • 309,698,72,2152方のたゑ給ふことなし、其心得有べく候と、折々信玄公へ信虎公より被仰越候、か
  • 561,697,71,2153まて公方御送りある、我家の系圖是なりと申上候、然ば三好道なき故、光源院殿御
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