『大日本史料』 10編 21 天正2年2月~同年4月 p.162

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の所へめしつれられ候つるは、加樣の人と慶庵を御目利あり、信玄公を諸人貴奉る, 御傍へ參り、勝頼公の間へ、御腰物を無理に奪取、鞘に納戴て、長閑に渡、信玄公, 候は、長坂長閑分別よき故也、信虎公やがて御他界なり、, なる人にて候故、か樣の次に、承及たる武田御重代拜申べきと被申候て、信虎公の, をぬきながら如此候、座中盡氷、目もあてられぬ模樣なるを、小笠原慶庵、心の剛, は尤なり、其後やがて、勝頼公甲府へ御歸候へ共、信虎公をば伊奈にさし置なされ, 一、天神宮, 〔甲斐國志〕, の兄を、けさがけに切たると被仰、其後勝頼公の御かほ御覽なされ、左文字の腰物, 五歳にて甲州を御出有、卅七年にて八十一歳の時御歸參あり、孫にてまします勝頼, をぬき給ひ、此刀にて五十人にあまり御手うちなされ候、中にも内藤修理と名乘奴, 公に御對面なれば、武田の御重代を御座敷に置給ふ尤也、然所に、信虎公此御腰物, の御相に、小笠原慶庵を頼敷思召、御放相手に被成、大勢の中にて、慶庵をば大事, 同霜月二日御遷宮畢、大檀那武田左京大夫源朝臣信虎時、代官曾根三河守源昌長、, 古棟札曰、奉造立新社一宇、于時大永二年〓二月廿七日手斧立、, 村、略, 五十六神社部一, 山梨郡萬力筋, 大工○中, 立ス, 天神宮ヲ造, 天正二年三月五日, 一六二

割注

  • 村、略
  • 五十六神社部一
  • 山梨郡萬力筋
  • 大工○中

頭注

  • 立ス
  • 天神宮ヲ造

  • 天正二年三月五日

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  • 一六二

注記 (23)

  • 820,709,70,2150の所へめしつれられ候つるは、加樣の人と慶庵を御目利あり、信玄公を諸人貴奉る
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