『大日本史料』 10編 21 天正2年2月~同年4月 p.161

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とく、勝頼公と御對面の座にて、勝頼は母かたは誰そと尋給ふ、長閑承り、諏訪の, 有、長閑承、廿九歳にて御座候と申、其後各侍大將衆を御尋あり、むかしの親の名, 頼茂むすめ子にてましますと申、信虎公少御氣色違ひ、勝頼は當年いくつぞと御尋, 御逆心なさるべきも存ぜず候よし申候により、信州伊奈にて御對面なり、長閑申ご, たし申さるゝは、信虎公たゞ大形ならぬ荒大將にて、いくつに成給ひても、御遠慮, 日大隅むすこと申、信虎公聞召、百姓を大身には、信玄の分別ちがひなりと被仰、, 其次に、武田の御重代左文字の御腰物を、をし板の上に立をき給ふは、信虎公四十, て、武田の家老、各〓をなかす也、以上、, なる儀有間敷候、其上逍遙軒・一條殿・兵庫殿・典〓・穴山殿、其外御親類多候間、, 美濃守と申、飯富兵部弟を山縣三郎兵衞と申、高坂彈正を御尋なさるゝ、伊澤の春, 字名乘者、一人も無之候、工藤源左衞門、内藤修理と申、きやうらいし民部を馬場, て勝頼公へ御對面有、甲州へ信虎公入まいらせらるへきとあるを、長坂長閑分別い, 勝頼公、平山越を信州伊奈へ御馬入也、伊奈にて、信虎公八十一歳に, 〔甲陽軍鑑〕十九, 一、, ○中略、天正二年, ノコトニ力ヽル、, 頼二對面ス, 伊奈二テ勝, 天正二年三月五日, 一六

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  • ○中略、天正二年
  • ノコトニ力ヽル、

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  • 頼二對面ス
  • 伊奈二テ勝

  • 天正二年三月五日

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  • 一六

注記 (21)

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