『大日本史料』 10編 21 天正2年2月~同年4月 p.299

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り、其外數多打死をしたり、御旗本の心がけたる衆、あとへのこりて打死をしたり、, れたる共なくして、田の・おふくぼ村にて、かへせば味山に入て見へず、のけば又出, げ・さるかわうつぼを付、しゝ矢をはめて、五人・十人・廿人・卅人づゝ中へ出、あ, とへ出、先へ出ゝ、おもわぬ外之處にて、てつほうをはなし、おごゑをあげけれ共、, 日のめも見へぬみ山之中なれば、ふせぐ事もならず、殊更上はくもにそびへたる大山、, 所に、あとぜいがはいぐんと聞召て、おどろかせ給ひて、引歸させ給へば、敵はちり, ゝ付、然間田之・おふくぼ村にて、同年ノ四月六日にはいぐんする、各々打死有り、, 上樣はみくらにて、此由聞召、あとにててつほうのおとが聞へけるが、いかゞと思召, がう人を相くわへて、此方の嶺谷、彼方のをづる・山さき・來かや之中より、しかり, 〳〵に味山へ入而見へざれば、是非に及ばせ給はずして、御馬は天方迄入、其時、大, ほり小太郎・鵜殿藤五郎・大久保勘七郎・おわらの金内、是等がしよ手に打死してよ, 下はがゞとしたるがん石之ほそ道なれば、あとよりくづれたるともなく、中よりくづ, い付、たる山之城・かうめう之城より、是等が先へまわつて、田の・おふくぼ村に出、, せ給ふ、然る處に、天野宮内右衞門尉、けた之郷より出ゝ、あとぜいにしきつてした, 國氣多郷ヨ, 大野景貫同, リ出デ家康, 家康退陣ス, 遠江天方へ, ノ軍ヲ撃ツ, 移陣ス, 天正二年四月六日, 二九九

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  • 國氣多郷ヨ
  • 大野景貫同
  • リ出デ家康
  • 家康退陣ス
  • 遠江天方へ
  • ノ軍ヲ撃ツ
  • 移陣ス

  • 天正二年四月六日

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  • 二九九

注記 (23)

  • 618,633,64,2178り、其外數多打死をしたり、御旗本の心がけたる衆、あとへのこりて打死をしたり、
  • 998,634,59,2218れたる共なくして、田の・おふくぼ村にて、かへせば味山に入て見へず、のけば又出
  • 1499,635,63,2219げ・さるかわうつぼを付、しゝ矢をはめて、五人・十人・廿人・卅人づゝ中へ出、あ
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