『大日本史料』 10編 23 天正2年6月~7月 p.35

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すけ後詰に出られ候へ共、高天神の落たるをきゝ早早引返し、岐阜へ歸陣なる、, 共、信玄公名大將にて御威光つよき故か、憶意力なき事大小上下共に如此、さあ, 部、是は岡部次郎右衞門弟なるが、信玄公味方か原合戰の時も毛付を仕り、高名, しもかたにをひて壹萬貫の所領御約束にて、高天神城をあけ渡す、信長、家康を, 者、心ばせを仕る、内藤修理同心のうちに、手柄の武士多、駿河先方には岡部治, りてきとうぐんの御仕置なされ、勝頼公御馬七月中に入、是勝頼公廿九歳の御時, 人岡部忠次郎・鈴木彌次右衞門なり、其後かなはずして降參申、小笠原は富士の, 候に、次郎右衞門下にをひて朝比奈金兵衞と云わかものと、右申剛の武士岡部治, の要害せめおとし給へば、信玄公より勝頼公の御弓矢増給ふと、各取さたなれ, 有、小笠原内渡邊金大夫・林平六・吉原又兵衞・伊達與兵衞・小池左近などゝ申, 部一番に屏へ乘故落城也、但岡部治部そこにて討死する、金兵衞につゞき屏へ乘, いたす大剛の武士なり、同忠次郎・大堺三介、此衆其節鑓を合たる人々なり、其, かくて遠州きとうぐむ勝頼公御代に御手に入、其年の春、美濃におひて、數ケ所, 後七月、高天神落城有、猿もどりと云くるわを、岡部次郎右衞門衆取つめせめ申, 猿〓曲輪ノ, 戰, 天正二年六月十七日, 三五

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  • 猿〓曲輪ノ

  • 天正二年六月十七日

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  • 三五

注記 (18)

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