『大日本史料』 10編 24 天正2年8月~9月 p.178

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て是に隨ひ給ひぬ、, 三春の城に上みぬ鷲の榮花を極め、武威日々に募りけるが、いつの比よりか心地そこな, 田村大膳大夫從五位下坂上姓義顯は、兩息の勇によりて隣郷近村を押領せられ、我身は, る、年々隣郡の諸將といどみ爭て、合戰に隙なく、戰國の間に苦しんで、武略智謀の大, 將とは呼れ給ひけり、田村は小知の所なれば、大家の武威には及ばず、會津の蘆名修理, いて大病に沈み給ひ、醫術其しるしもなく、永禄八年八月廿六日卒去せらる、則法名を, 太夫盛氏え一味して多年彼下知につき、盛氏、白河・棚倉ゑ働かれし時も、度々馬を出し, ば梁山棟公とぞ申ける、嫡子安藝守從五位下兼左衞門佐隆顯相續有て、田村庄を領せら, 天正二年の秋、佐竹常陸介義重・石河大和守昭光牒し合て、四千餘騎を卒し仙道表を掌, 〔仙道表鑑〕, 握にせんとす、義重先棚倉ゑ出馬せしめ、南郷寺山・羽黒の城に人數を込置き、近々仙, 佐竹蘆名南郷合戰竝田村隆顯卒去之事, 田村義顯卒去之事, 道ゑ出馬して白川・須賀川・田村末の城々を責落して、威に乘て會津を手に入べしと也、, ○内閣文庫所藏, 二, 天正二年九月六日, 一七八

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  • ○内閣文庫所藏

  • 天正二年九月六日

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  • 一七八

注記 (18)

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  • 1381,635,58,2301いて大病に沈み給ひ、醫術其しるしもなく、永禄八年八月廿六日卒去せらる、則法名を
  • 943,619,58,2311太夫盛氏え一味して多年彼下知につき、盛氏、白河・棚倉ゑ働かれし時も、度々馬を出し
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