『大日本史料』 10編 28 天正3年正月~3月 p.57

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取向しかは、元範少しも不騒、各我に忠義を仔せんものは、今此共ぞといへは、勇士七, 音なれは、此火先を見懸て、途中まて迎出さる事はよもあらしとて、氣色に〓て〓、石, 指と二云在所へ一里計り引退、休ふ處に、藝陽の武士多治部雅樂頭五十餘騎にて押寄す、, 入道と云ふ占老に存義者立寄、腹を切給ふ共、打込の人數と云ひ、夜中と云、分明に人, 鈎りたるに不異、可〓便りなき處に、元範一人當千に頼を懸たる、官〓大炊助・〔曾〓・, 殘兵(漸く十人計りに討成れ、元範も數刻の戰に精力顋て、閼〓として居ける處に、伊勢, 千騎計り、物具ひし〳〵と固め、元範と一所に死を決する覽悟にて出立たり、元範彌ク, 心強く思ひ、扉を開て戈に〓事兩三〓、漸く其日戌の刻に成にけり、元範の郎從或は千, を負、或は疲れ、大半死し失ぬ、中にも〓田、降人に出る者も有、又缺落する者もあり、, り、此〓の城主三村元範は、修理進〓親の弟也、縱松山は落城すと言共、此城は天より, の知事有へからす、又夜明迄は忍へ難く、一先落給へは、定て三浦の貞廣は年來の御知, 八田以下、翻て正月八日□の刻計に敵を諸丸に引入れ、端丸に火を懸、一同に詰の丸に, 〓三七ケ日も打過れは、去らは時に合たる新見の城を責て、新年の慶と一せんと押寄た, 新見江城落事附流刑之事, 天正三年正月一日, 五七

  • 新見江城落事附流刑之事
  • 天正三年正月一日

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  • 五七

注記 (16)

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