Loading…
要素
頭注ノンブル
OCR テキスト
賜へしと、此金子を持參し相送たしと被仰渡、平大夫是より大和路へ赴た, 度として坂本城へ出立の刻、御暇乞として大寳坊へ來り、御目に掛りし砌, 徳川殿の御身に大事在らん事、信長兼て光秀にも密に御内意あり、此義何, 迄御越の義、兼て思召懸なたに付、御支度金拂庭也、本國え御歸入の程返辨, り、此金子の事、最前安土へ御越の時、大寳坊の御止宿、御馳走の人明智光秀, 有屋き由ニて、茶屋等に御無心被仰、又堺にては今井宗薫被仰、京都の金子, 平大夫に被仰處也、係處へ、本多平八郎、茶屋同道にて立皈り、大變の義を申, 相知せ申儀不叶に付、御暇申立出る時、玄關まて御送として立出、敷臺にて, 未參に付、御先へ本多を京へ被遣しも此御用也、御才覺調分は御持に付、今, 承り、漸三日是を相勤し處に、中國出陣の列に被仰付、他人へ被引替、軍用支, 御時宜の時、光秀手を差延し、徳川殿の御袴の端を扣へ、堺へ御越の由被仰, とそ告ず知を申、御用心せしめ度存ししか共、長谷川竹等御側を離れすは, 御氣遣にて、兎角御難を遁れらるへき爲迚、京都へ御越と御答也、此度京城, 出由承及候、堺の義御用心專に御心付可被遊と、御氣を付ず置申に付、至極, 上て、京都に限らす五畿内騷動し、野心の輩多、別して光秀義も、堺へ御越の, 光秀信長, ノ害心ヲ, 家康ニ諷, ストノ説, 天正十年六月四日, 一八六
頭注
- 光秀信長
- ノ害心ヲ
- 家康ニ諷
- ストノ説
柱
- 天正十年六月四日
ノンブル
- 一八六
注記 (21)
- 1782,609,66,2192賜へしと、此金子を持參し相送たしと被仰渡、平大夫是より大和路へ赴た
- 1435,613,65,2204度として坂本城へ出立の刻、御暇乞として大寳坊へ來り、御目に掛りし砌
- 1320,612,67,2197徳川殿の御身に大事在らん事、信長兼て光秀にも密に御内意あり、此義何
- 616,612,65,2201迄御越の義、兼て思召懸なたに付、御支度金拂庭也、本國え御歸入の程返辨
- 1663,612,69,2190り、此金子の事、最前安土へ御越の時、大寳坊の御止宿、御馳走の人明智光秀
- 502,614,64,2196有屋き由ニて、茶屋等に御無心被仰、又堺にては今井宗薫被仰、京都の金子
- 273,619,66,2195平大夫に被仰處也、係處へ、本多平八郎、茶屋同道にて立皈り、大變の義を申
- 1084,615,67,2189相知せ申儀不叶に付、御暇申立出る時、玄關まて御送として立出、敷臺にて
- 387,613,68,2197未參に付、御先へ本多を京へ被遣しも此御用也、御才覺調分は御持に付、今
- 1550,608,66,2196承り、漸三日是を相勤し處に、中國出陣の列に被仰付、他人へ被引替、軍用支
- 964,612,67,2196御時宜の時、光秀手を差延し、徳川殿の御袴の端を扣へ、堺へ御越の由被仰
- 1205,616,68,2198とそ告ず知を申、御用心せしめ度存ししか共、長谷川竹等御側を離れすは
- 732,609,65,2201御氣遣にて、兎角御難を遁れらるへき爲迚、京都へ御越と御答也、此度京城
- 845,613,67,2200出由承及候、堺の義御用心專に御心付可被遊と、御氣を付ず置申に付、至極
- 159,618,68,2185上て、京都に限らす五畿内騷動し、野心の輩多、別して光秀義も、堺へ御越の
- 1328,260,43,165光秀信長
- 1284,264,40,159ノ害心ヲ
- 1241,258,44,168家康ニ諷
- 1199,266,42,162ストノ説
- 1898,686,44,341天正十年六月四日
- 1906,2403,42,112一八六







