『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.186

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賜へしと、此金子を持參し相送たしと被仰渡、平大夫是より大和路へ赴た, 度として坂本城へ出立の刻、御暇乞として大寳坊へ來り、御目に掛りし砌, 徳川殿の御身に大事在らん事、信長兼て光秀にも密に御内意あり、此義何, 迄御越の義、兼て思召懸なたに付、御支度金拂庭也、本國え御歸入の程返辨, り、此金子の事、最前安土へ御越の時、大寳坊の御止宿、御馳走の人明智光秀, 有屋き由ニて、茶屋等に御無心被仰、又堺にては今井宗薫被仰、京都の金子, 平大夫に被仰處也、係處へ、本多平八郎、茶屋同道にて立皈り、大變の義を申, 相知せ申儀不叶に付、御暇申立出る時、玄關まて御送として立出、敷臺にて, 未參に付、御先へ本多を京へ被遣しも此御用也、御才覺調分は御持に付、今, 承り、漸三日是を相勤し處に、中國出陣の列に被仰付、他人へ被引替、軍用支, 御時宜の時、光秀手を差延し、徳川殿の御袴の端を扣へ、堺へ御越の由被仰, とそ告ず知を申、御用心せしめ度存ししか共、長谷川竹等御側を離れすは, 御氣遣にて、兎角御難を遁れらるへき爲迚、京都へ御越と御答也、此度京城, 出由承及候、堺の義御用心專に御心付可被遊と、御氣を付ず置申に付、至極, 上て、京都に限らす五畿内騷動し、野心の輩多、別して光秀義も、堺へ御越の, 光秀信長, ノ害心ヲ, 家康ニ諷, ストノ説, 天正十年六月四日, 一八六

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  • 光秀信長
  • ノ害心ヲ
  • 家康ニ諷
  • ストノ説

  • 天正十年六月四日

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  • 一八六

注記 (21)

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