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御立の處へ、甲賀の浪人和田八郎定教參上し、御先へ立て御奉公す、, 守秀盛、義賢入道承禎斷絶の時、共に所領を失沒落す、其子也、, 定教は佐々木六角政頼か庶子の支流こて、甲賀和田山の城に、和田和泉, 神證尊躰を襟に掛て、御馬の側に隨身仕りたり、關東御領國と成し後、此尊, 愛宕大權現にて、神躰は行基の作にて、金頭子の將軍地藏也、則神證を別當, 躰安鎭せしめらるべき土地を、神證に見立てさせ給ふに付、中野の寳泉寺, 被成て、石川六左衞門を奉行として、宮殿御造立被成、尊躰を安鎭也、是今の, に御付ず成され、金剛院と號す、其院跡今は圓福寺の舘中と成、翌朝多羅尾, に安座如何あるへきよし申上る、中野は遠所也、御城程近き所にて見立候, 山岡兄弟今朝も又參郷導す、多羅尾作兵衞、山口甚助等御送り申、於登岐峠, 眺望能、御本城にも近き由申上るに付、則内藤か地を轉せられ、是を靈地と, せ、無恙御本國へ入を給ひ、甚た御信心にて、是より以來御出陣の時は、毎度, 樣に仰に付、芝の地にて内藤六左衞門か宅地高き岡にて山の〓し、東海の, を越給ふ、此所へ呉服大明神の神職、伊賀の服部の別當貞信、幕下の者共を, 引連來、山中狹き道案内仕故、野伏等皆別當に親み有ゆへ、悉く雌伏す、是よ, 金剛院, 和田定教, 芝ノ愛宕, 於登岐峠, 社, 服部貞信, 天正十年六月四日, 一九二
頭注
- 金剛院
- 和田定教
- 芝ノ愛宕
- 於登岐峠
- 社
- 服部貞信
柱
- 天正十年六月四日
ノンブル
- 一九二
注記 (23)
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