『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.148

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も、魚津に籠る者共の妻子は御開陣と聞、歎く事今目ノ前に別またるこ, とく思ひけり、景勝公は御人數を境々へ被遣、其外殘る者とも在所へ御, 越後七郡にて知らぬ者はなし、誠しからぬ事なれとも、上下是を悦ひけ, を四日に沙汰する事、人間の事ならすと諸人天を拜すとなり、, 者飛脚はふる雨の〓し、景勝公も御悦ひ、越前の國へ上條殿、越中國へ須, る、然る處に、六月二日に、信長公生害誠の事なり、上方こて二日の御生害, 原氏直は、關東勢四万餘りにて、うすい峠を越して、信州さくの郡へ出張, 田相模守御向被成、近所なれば信州へ被爲出、海津に御在陣被成、三河家, 返し、御一左右次第に可參とて、休息に被返也、六月四日に、誰云とも不知、, 也、上方は羽柴筑前守秀吉公、明智日向守を退治し玉ひて、上方を引付玉, なり、依て諸國ゟ越後へ注進申は、早々御馬を被出、御仕置被遊候へと、使, 上方にて、信長公は明智日向守謀叛こて生害なりと云、六月四日午ノ刻、, 康公は大軍を卒して、是も信州上野諏訪に御馬をたてられける、又小田, 〓隣國の信長勢、取ル者もとりあへす、海道混亂すると, ふ、景勝公は越前、越中へ御人數を向られ、御留守居さしおかれ、僅御人數, 天正十年七月是月, 八日ノ條ニ見ユ, ニ至ルコト、六月, ○信長ノ, 計報越後, 家康ハ諏, 信長ノ訃, 景勝海津, 傳ル, ニ出馬ス, 訪ニ氏直, 報越後ニ, ハ佐久ニ, 入ル, 一四八

割注

  • 八日ノ條ニ見ユ
  • ニ至ルコト、六月
  • ○信長ノ
  • 計報越後

頭注

  • 家康ハ諏
  • 信長ノ訃
  • 景勝海津
  • 傳ル
  • ニ出馬ス
  • 訪ニ氏直
  • 報越後ニ
  • ハ佐久ニ
  • 入ル

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  • 一四八

注記 (30)

  • 1789,737,61,2137も、魚津に籠る者共の妻子は御開陣と聞、歎く事今目ノ前に別またるこ
  • 1672,736,62,2149とく思ひけり、景勝公は御人數を境々へ被遣、其外殘る者とも在所へ御
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