『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.454

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守長治討れて後は、三好黨に頭を出すものもなし、五畿内に三好が一黨多, しといへども、諸方の忿劇に、當國下向の事は思ひもよらす、然れば國中に, 一宮長門守成助は、一旦元親に降參したりしが、熟世間の躰を考るに、河内, 々へぞ觸られける、長門守是を聞て、愚人夏の蟲飛て火に入とは斯る事に, る、成助最後もよありけり、心得たりと腰の刀をするりと拔、前後に當り左, き事ども也と、同年の夏の末、反逆を企、偸に新開道善、夷山の城主何某を始、, 便宜の輩をぞかたらひける、唯二人して云事だにも、天知地知我知と云り、, かれとて、阿州中郡へ發向と披露し、一宮にて軍評議あるべしと、味方乃城, 怖るべき者もなおに、元親なとが下手に成て、年月を送らんは、活甲斐もな, の極とぞみえにける、元親城に入給へば、成助迎に出來るを、大勢中に取籠, 藝守早く此由を聞て、岡豐へぞ告にける、元親怒て、さらは此方よりもたば, や有らん、元親是へ來る事こそ不運なる、座敷の程を謀り、何某は兎してく, め、誰々は角してうてと、方便の次第を云含め、さらぬ體にて居たりしは、運, 是程諸方へ觸廻し、大勢をかたらはんに、なじかは隱れ有へき、香宗我部安, 右を拂ひ、火をちらして切合、終に其處にて討れける、蠻山には是を聞て、偖, 天正十年九月三日, 殺ストノ, 成相ノ最, 長治戰死, ノ後三好, 一宮城ニ, 説, 後, 黨人ナシ, 天正十年九月三日, 四五四

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  • 殺ストノ
  • 成相ノ最
  • 長治戰死
  • ノ後三好
  • 一宮城ニ
  • 黨人ナシ

  • 天正十年九月三日

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  • 四五四

注記 (26)

  • 1701,631,64,2215守長治討れて後は、三好黨に頭を出すものもなし、五畿内に三好が一黨多
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