『大日本史料』 11編 3 天正10年12月 p.138

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其下つき〳〵の, なる疲勞をも物之數共せす、可抽大功と思ひ籠さるはなつりくり、, 度寒天之節苦勞之段、喜入赴、いと手ん比につくされ々り、, 秀吉如此諸人之勞を報謝し、下民を憐ひ給ひしかは、此人の爲ならは、いら, 十重、銀子二千兩進上あり、, 評曰、大志有人は、大人小人の心を取事、身にろへてもつとむへき事也、秀, 吉卿は、其身にろへてし給ふ故にや、諸人の心、秀吉のために在て、其身に, 評曰、如此武略兼備り、万はろの行事、下坂乃車のことくなるは、天下之大, 銀子百枚、樽肴十荷宛、并其家中之組頭、何も不殘小袖二重宛、使者を相添、今, 面々にも、悉く其沙汰に及ひしかは、中〳〵忠義正しき人なりと感しつゝ、, 謝する事、時を違す有しなり、不破彦三、原彦次郎なと云ずるは、佐久間玄, 番允の驕、今さへ不大形よとて、内々之腹立ぬろろりしとろや, 用ぬる事いとおひたゝし、かくて廿六日、至山崎寶寺之城令歸陣、越年之祝, 器なり、然共義士なる傍輩なれは、いまた君臣之義に及はす、かく其勞を, 儀例年にこえ、目出き事有、廿八日には、今度濃州表出勢之傍輩衆へ、小袖十、, あらす、然るに因て、忠功を抽てんと思ふに、實有て、毎事はろの行事水の, 天正十年十二月二十日, ○秀吉、歳暮ヲ、秀信ニ賀スル「, ト、本月二十四日ノ條ニ見ユ, 慰勞ス, ノ諸將ヲ, 秀吉出陣, 一三八

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  • ○秀吉、歳暮ヲ、秀信ニ賀スル「
  • ト、本月二十四日ノ條ニ見ユ

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  • 慰勞ス
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  • 秀吉出陣

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  • 一三八

注記 (23)

  • 1787,2276,56,478其下つき〳〵の
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