『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.225

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一五八四年一月二十日, は、特に都地方竝に下の地方及び豐後に於て起りたる戰爭に就きて、尊師, 附、長崎發、パードレ・ルイス・フロ, はるゝ、光澤ある好き細工の屋根石を以て覆はれたり、彼は城内に入るに, の後に起りたるコンパニヤ竝に基督教會の事を承知せらるべし、本書翰, 本年當地より發する八十三年の年報及び他の私翰に依りて、尊師は、パー, て狹さ路によりて逃れ、少數の部下と共に、北ノ庄と云ふ越前の主要なる, せり、然るに羽柴は勝に乘じ、全軍を率ゐて越前の國に入り、柴田の籠りし, ドレ・フランシスコ・カブラルが支那に向ひし時、我等が認めたる長き書翰, 城を包圍せしめたり、, 都會に達せり、此處に甚だ美麗なる一城あり、轆轤にかけて造りしかと思, 當り、先づ火を放つて町を燒き拂ひ、敵をして同處にありし糧食及び財寶, を收むること能はざらしめたり、敗兵の殘部は、武具を捨てゝ山中に四散, イスより、印度地方區長アレッサンドロ・ワリニヤニに贈りし書翰, 耶蘇會のパードレ及びイルマンの日本通信第二編, 〔日本耶蘇會年報〕(歐文材料第二號譯文), ○天正十一年, 〇上下略、龜山城陷落及ビ勝家自殺スルコトニ, カヽル、三月三日及ビ本月二十四日ノ條ニ收ム、, 十二月八日、, 北莊城, 町ヲ燒ク, 勝家城下, 天正十一年四月二十一日, 二二五

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  • ○天正十一年
  • 〇上下略、龜山城陷落及ビ勝家自殺スルコトニ
  • カヽル、三月三日及ビ本月二十四日ノ條ニ收ム、
  • 十二月八日、

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  • 北莊城
  • 町ヲ燒ク
  • 勝家城下

  • 天正十一年四月二十一日

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  • 二二五

注記 (25)

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