『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.647

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

の當座に、, もあるましく候、不圖かけ出戰死候、其戰場之樣を承及候ニ、川上左京杯致, 上と人々思ひ入候つるよし、古き衆の物語とも承置候、右兩人戰死之日は、, 海あをし底や夏山夕凉, と被續候、面白歌と獨吟候、右發句を案し、盃をとひはやし候時は、何の思ひ, と刑部大輔發句を口號候、此脇を深水宗方、, 氏書曰、有馬之儀ニ付御状、深江安徳之儀細々被仰趣、新納刑部大輔、蓑田平, うらの見る目も風かほるころ, 今月廿三日歟と覺へ候、刑部大輔磯涯にて、若き衆と合盃をめくらし、遊山, 弓箭の道をのみ心懸、人の心も情ふかく、今日は人の身の上、明日は我身の, 合戰曳退候處ニ、行かゝりての事と聞へ候、敵と取合あしらひ候て、退候は, 馬戰死之儀共、其書面にむかひ候得者、其時分之樣ニ被存、催〓候、其時分は, 大將既に討れけれは、我軍遂ニ打負て、安徳城に引歸す、伊勢貞昌か與相良, 〔有馬龍造寺島津大友合戰異説〕, ゝ、殿ニ成難なく遁れ候はんすれとも、武士矢竹心之儘戰死無比類候、, 有馬家と龍造寺家と合戰, ○碩田叢史, 十六所收, ○下, 略, 當時ノ氣, 忠堯ノ發, 深水宗方, 忠堯ノ戰, ノ脇句, ノ書状, 死ハ武士, 伊勢貞昌, ノ矢竹心, 句, 風, 天正十一年六月十三日, 六四七

割注

  • ○碩田叢史
  • 十六所收
  • ○下

頭注

  • 當時ノ氣
  • 忠堯ノ發
  • 深水宗方
  • 忠堯ノ戰
  • ノ脇句
  • ノ書状
  • 死ハ武士
  • 伊勢貞昌
  • ノ矢竹心

  • 天正十一年六月十三日

ノンブル

  • 六四七

注記 (33)

  • 1192,619,59,285の當座に、
  • 603,622,61,2207もあるましく候、不圖かけ出戰死候、其戰場之樣を承及候ニ、川上左京杯致
  • 1423,622,63,2222上と人々思ひ入候つるよし、古き衆の物語とも承置候、右兩人戰死之日は、
  • 1075,695,58,693海あをし底や夏山夕凉
  • 721,629,61,2197と被續候、面白歌と獨吟候、右發句を案し、盃をとひはやし候時は、何の思ひ
  • 956,627,58,1280と刑部大輔發句を口號候、此脇を深水宗方、
  • 1776,619,63,2202氏書曰、有馬之儀ニ付御状、深江安徳之儀細々被仰趣、新納刑部大輔、蓑田平
  • 842,695,53,903うらの見る目も風かほるころ
  • 1306,620,62,2206今月廿三日歟と覺へ候、刑部大輔磯涯にて、若き衆と合盃をめくらし、遊山
  • 1542,617,61,2200弓箭の道をのみ心懸、人の心も情ふかく、今日は人の身の上、明日は我身の
  • 485,621,60,2197合戰曳退候處ニ、行かゝりての事と聞へ候、敵と取合あしらひ候て、退候は
  • 1658,619,63,2196馬戰死之儀共、其書面にむかひ候得者、其時分之樣ニ被存、催〓候、其時分は
  • 1893,619,62,2201大將既に討れけれは、我軍遂ニ打負て、安徳城に引歸す、伊勢貞昌か與相良
  • 233,587,98,1023〔有馬龍造寺島津大友合戰異説〕
  • 368,632,62,2061ゝ、殿ニ成難なく遁れ候はんすれとも、武士矢竹心之儘戰死無比類候、
  • 255,2059,55,767有馬家と龍造寺家と合戰
  • 280,1639,43,319○碩田叢史
  • 237,1637,39,252十六所收
  • 400,2706,40,113○下
  • 355,2710,40,38
  • 1686,256,41,172當時ノ氣
  • 1102,259,44,170忠堯ノ發
  • 868,259,42,168深水宗方
  • 417,262,39,169忠堯ノ戰
  • 825,265,39,118ノ脇句
  • 1878,260,41,122ノ書状
  • 371,263,41,167死ハ武士
  • 1923,255,39,172伊勢貞昌
  • 326,269,40,161ノ矢竹心
  • 1061,258,37,36
  • 1645,258,35,33
  • 150,706,42,427天正十一年六月十三日
  • 153,2432,40,121六四七

類似アイテム