『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.659

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とも屈とす、山上の〓其勇敢なおを見て、氣をうしなひ、和をこふて兵を, 輕卒をもつて日々相戰ふ、時に佐々木の兵味方乃小勢なるを知て、四方, 長政も又これにくみす、右府大坂より發して大津に陣し、山上の兵と相, るのところ、朝倉義景これを遮りとゝめんかため、比叡山に陣を張、淺井, 〓初圍み撃事數度、康親をふにさおかけして、二十餘戰にをよふといへ, 收め、越前に歸お、右府歸國乃後、康親等か軍功を褒美す、三年、三方原乃役, 時、康親馬をはしらせて敵をうつ、敵矢をはなつて、康親か左の手と、鞍ま, 戰ふ、このとき書をはせて、東照宮に援兵をこひたてまつりしかは、石川, 日向守家成を大將とし、康親を副將とし、勇士三千人を擇ひ、日を經すし, 妨く、右府乃命によりて、勢田、草津乃間に陣をかまへ、佐々木の兵を遮り、, め、其矢をもつてたゝちにかの敵を射殺す、九月、織田右府大坂に發向す, て近江國勢田に至らしむ、時に佐々木承禎か兵蜂起して、國中の往來を, 書のことく、東條の城をよひ五百貫文乃采地をたまひ、すへて三千五百, 貫文の地を知行し、松平の御稱號をゆおさる、元龜元年六月、姉川合戰の, 前輪を射つらぬく、康親矢をぬく事あたはすして、郎等にここをぬかし, 天正十一年六月十七日, 等ノ軍功, 信長康親, 號ヲ許ス, 松平ノ稱, ヲ褒ス, 天正十一年六月十七日, 六五九

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  • 等ノ軍功
  • 信長康親
  • 號ヲ許ス
  • 松平ノ稱
  • ヲ褒ス

  • 天正十一年六月十七日

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  • 六五九

注記 (23)

  • 360,689,64,2131とも屈とす、山上の〓其勇敢なおを見て、氣をうしなひ、和をこふて兵を
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  • 1178,683,60,2140長政も又これにくみす、右府大坂より發して大津に陣し、山上の兵と相
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  • 241,688,66,2131收め、越前に歸お、右府歸國乃後、康親等か軍功を褒美す、三年、三方原乃役
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