『大日本史料』 11編 5 天正11年8月 p.18

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詳説すべし、火災後間もなく、この城は復興せられ、以前に増して美しく建, きても、なほ高さ數百トアズ, 造せられたり、城の建築材料は、土のみにてもなく、石のみにてもなく、その, 造るためには、如何なる勞力も費用も惜まざりしなり、しかもその希望は, ゆる種類の軍需品夥しく貯藏せられたり、濠に沿うて粘十にて固めたる, 高さのみにして、確むることを得ず、, 兩者を併せ用ひたるものゝ如く思はるゝも、截石の現はれたるは、一呎の, の敵となり、死刑執行者となりしものにして、それにつきては後に於いて, はこの若き皇子の後見人なりしが、帝國を自己の所有とせんがために、そ, る敵を發見する爲に、窓を穿てり、この塔は十六箇ありて、その中にはあら, 隱れ道造られ、それによれば、第一の城門まで、身を隱して到達する事を得, 失はれ、彼の子は内府樣の命令によりて、城と共に燒き亡されたり、内府樣, あり、そこに四〓或は五〓の大なる塔聳え、塔のうち二つには、遠方に於け, に達す、城壁の周圍には稜堡, 城壁は同じ石材にて成り、殆ど石と同樣に堅き漆喰にて成れる胸墻を除, て、その門より前庭に出でらるゝなり、その前庭の壁は、非常に高くして、左, 天正十一年八月二十八日, ○一とあずハ, 米九四九ニ當ル、, 燒ク, 城櫓, 城壁, 家康城ヲ, 天正十一年八月二十八日, 一八

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  • ○一とあずハ
  • 米九四九ニ當ル、

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  • 燒ク
  • 城櫓
  • 城壁
  • 家康城ヲ

  • 天正十一年八月二十八日

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  • 一八

注記 (25)

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