『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.135

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桑原大和守、何も高名樣々也、斯て先手は逃るを追て、二里四方へ打散り、, ふるひ能首討取候、國侍には寺田又右衞門、松浦安太夫、眞鍋五郎右衞門、, の時敗軍する物也、我出て下知す〓しとて、鐵蓋ケ嶺と云甲の緒を〆、馬, 一氏は纔三百計にて堂の池に陣を取、先勢の歸を待被申候、其日八時分, 重たる、互に取草有時ゐ、引上ケ候ても物はなれ仕りか〓、結句物わかれ, 印押立、岸和田の城を打出る、先へ行重りたる三口の先勢は、遙に後をか, 内中村の城へ過半逃籠候故、是をとりまき攻戰ふ、此合戰に黒田長政十, へり見るに、菅笠の馬印岸和田より押出したり、あわや式部少輔か取出, り、式部方勝に乘て散々に追ちらし、算を亂し、七筋にわかれて追討候、其, 四歳にて眞先に乘込、太刀討して直取の高名、殊更もき付にて被打候、家, 候はと云程こそあき、三口の先勢勇進て、一萬四千餘乃紀州勢へ掛り候, に、寄手一支もせす敗軍して、七ツの付城へ取込も有、直に紀州へ逃もあ, 來栗山備後利安も能首討取たり、明石左近も赤松晴政も直取の高名、蜂, 一氏か兵共川毛惣左衞門、早川助右衞門、野一色頼母、藪内匠、何も手柄を, 須賀家政も手をおろして戰ひしかは、家人中山左平次以下數輩討死也, 天正十二年三月二十二日, 〓〓, 討, 藪内匠, 菅笠ノ馬, 野一色頼, 明石左近, 赤松晴政, 一氏堂ノ, 池ニ陣ス, 母, 印, 一三五

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  • 藪内匠
  • 菅笠ノ馬
  • 野一色頼
  • 明石左近
  • 赤松晴政
  • 一氏堂ノ
  • 池ニ陣ス

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  • 一三五

注記 (28)

  • 398,681,65,2154桑原大和守、何も高名樣々也、斯て先手は逃るを追て、二里四方へ打散り、
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