『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.779

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申、掃部頭吟味して歴々の侍三人して首一ツを論する事、弓矢の法に不叶、, 迄大枋の白品枝と世にのゝしる、是も承るに石田治部か使番林半助なり, 勇士乃高名を極る事珍しからさるに、言かひなき事とて、色〳〵吟味せし, 藤新十郎長秋をも、井伊掃部頭内日下部源太郎討取、但朝比奈左近相討と, る樣に申成したり、庵原は首をくれ候ほとの〓故、遂に一言も不申候へと, 田大隅守討取たりと云、乍去公義乃御吟味にて、淺野左衞門家來八木新左, 澤主殿助をも、景勝内坂田釆女か組打に取たる事實正なりしを、直江か家, 伊豫か家人石黒藤兵衞也と云、是を定ていつれ〓一人は、彼白品枝ニて有, も、江戸御城にて、掃部頭、酒井讚州へ被〓候咄を聞壹り、判團右衞門をも、龜, と云、又宇喜多か家老明石掃部也と、加賀の本多阿波は被申き、今聞は、牧野, 衞門か討取たるに極る、本多出雲守忠朝首をも取たるといふ族も多し、穴, 人折下外記其長刀をもらひ、穴澤を討たりとて、土井大炊頭へ身上在付、内, 庵原助右衞門討取たる事必定なり、安藤長三郎其首をもらひ、其身か取た, つらん、其場を見手は知れに、大坂御陣にも、木村長門守をは、井伊直孝家老, にこたへ、ぬり見事にて、赤坂御本陣より、家康公御遠見被成、御褒不打後々, 元和元年五月七日, 七七九

  • 元和元年五月七日

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注記 (17)

  • 413,619,72,2227申、掃部頭吟味して歴々の侍三人して首一ツを論する事、弓矢の法に不叶、
  • 1806,636,70,2217迄大枋の白品枝と世にのゝしる、是も承るに石田治部か使番林半助なり
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