『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.694

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内藤正成, やふれ、半はいまた戰はす、前後離散す、をまひ)了をうかゝひ、これを討は、か, ならす利あらむと、爰にをいて俄に御旗をすゝめられ、大に撃る敵陣を敗, る、味方凱歌を唱へて、首級を實檢に備ふ、ときに清秀とゝもに言上さしは、, 高木主水助清秀とゝもに、井伊直政に副も先鋒となり、清秀とおなしと仰, をうきた万はりて、敵軍の形勢を察し、はせ來りふ言上しきるは、敵軍半は, 〻く倦疲るか、強て戰はゝ、かならす敗れむ、しはらく士卒を休め壹まふへき, 秀吉性勇武なり、この敗を聞は、かれらす來り戰ふへし、今味方乃士こと〻, なり、このこと御許容ありて、軍をかへしふ、小幡城に入さと告まふ、御歸陣乃, 日正成をめされ、軍功を感しきまふ、御歸陣の後、三州野羽村にをひて、采地, 七百石をくはへたまふ、, に、東照宮みつから御ものみとして、先陣にすゝませ壹まひ、御旗本は忠隣, に命せられて、みたりに動く屋からすと御下知あり、しかれとも諸士いき, 後、三河國幡豆郡にをいて、七百石を加へ告まふ、, 〔寛政重修諸家譜〕:, 大久保忠隣, 十二年、長久手乃役に、正成、, 十二年四月、長久手乃戰ひ, 〔寛政重修諸家譜〕, 甚一郎、四, 郎左衞門, 十郎, 千丸、新, 下略, 下略, ○上, 八百, ○上, 十一, 物見トナ, 家康自ラ, 大久保忠, 泰, 天正十二年四月九日, 六九四

割注

  • 甚一郎、四
  • 郎左衞門
  • 十郎
  • 千丸、新
  • 下略
  • ○上
  • 八百
  • 十一

頭注

  • 物見トナ
  • 家康自ラ
  • 大久保忠

  • 天正十二年四月九日

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  • 六九四

注記 (35)

  • 1545,1418,55,270内藤正成
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