『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.170

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力し、又之が爲め最も多く寄進せり、他の人々も亦助力したれども、ジュス, の爲め、町内を巡りて喜捨を求め、又他の多くの慈善の業を爲せり、爲す所, 見、又大坂に於て新に建築せし會堂を見ん爲めに赴きたり、同地は當所よ, り海上二百レグワ以上あり、同所のパードレ等は彼と相識り、其熱心にし, チノは、最も多く寄進し、又最も多く働きて、此組に入る事を他の人々に勸, 受け、又信仰厚し、其中の二人、年少なる者はセミナリヨに、年長なる者は耶, 前、同所に於て全家キリシタンとなり、名をジュスチノと言ひ、其妻はジ「, スタと稱す、我等の主は、彼等に大なる御慈悲を垂れ給ひしと見え、其生活, て徳ある事を熟知せるが故に、彼が堺の生れにして、其努力に依らば、同地, 及び所行は、當地の人々の鑑となり、彼等の子女は、謙遜にして善き教育を, 所に劣る事無し、彼等の中に堺より來りし男子一人有り、彼は約二十年以, めたり、昨年慈善院の會堂を造りたる後、ジュスチノは都のセミナリヨを, 蘇會に入らん事を望みたり、ジュスチノと其妻は、特に慈善院の創立に盡, は其力に應じ、少なりと雖も、ミセリコルヂヤの會が、我等の間に於て行ふ, に建築する計畫の新會堂に著手する事を得べしと考へ、一年間其郷土に, 天正十二年四月二十二日, 大坂ニ會, 堂ヲ建築, 天正十二年四月二十二日, 一七〇

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  • 大坂ニ會
  • 堂ヲ建築

  • 天正十二年四月二十二日

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  • 一七〇

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  • 853,624,59,2201力し、又之が爲め最も多く寄進せり、他の人々も亦助力したれども、ジュス
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